ダメ人間の代名詞であるのび太君ですが、私は彼が「すぐに眠れる」という特技を持っていることを尊敬しています。私などは、生まれてから毎日のように睡眠しているにもかかわらず、いまだに「眠くないときに眠るコツ」がつかめません。
生活リズムがくずれないよう夜になると布団にもぐりこみますが、よほど疲れているときでもない限りすんなりと夢の世界へ入り込むことができません。
安部公房のエッセイに「睡眠誘導術」というのがあります。氏は、睡眠を誘うために西部劇を想像するのだそうです。峡谷の底を走る騎馬隊に向けて、弓矢をつがえ、ひとりひとり狙い打ちしていれば、自然に眠りが訪れると書いています。
むろん条件によって違うが、調子さえよければ、四、五人目から効果があらわれることがある。二十人を超えることはめったにない。急速で、しかも実になめらかな眠りへの移行。弓をつがえた腕から突然力が抜け、あたりの光景が見るみる凍って、色あせる。そのまま君は深い眠りに落ちていく。
安部公房『笑う月』(新潮文庫)
私もさっそく試してみましたが、なかなかうまく行きません。安部式睡眠誘導術をするには、まず舞台をつくる必要があります。私の場合、まず広大なグランドキャニオンを描いて、そこから騎馬隊が通るのに都合のよさそうな渓谷を探します。見つけたら、そこをズームアップします。
ズームアップすると、ずいぶんと細部がいい加減なことに気づきます。赤いベニヤ板を張り合わせたような粗末な谷です。そこで、まず身を隠す岩場を丁寧に描きます。質感をだすために、草木や苔もついでに描きます。さらに、雲を描き、風を吹かせます。
舞台が完成したところで、騎馬隊を走らせようとするのですが、せっかく築いた舞台がぼやけてきたことに気づきます。舞台を維持するためには、集中力を保たなければいけません。気を抜くと、せっかく描いた風景が台無しです。
仕方なく、再び集中して舞台を整えます。だんだん眠くなってきましたが、ここで眠るわけにはいきません。
騎馬隊をひとりも倒さないうちに、眠るわけにはいかないのです。