一歩先は闇

 広く閑散とした道路に立つと、目をつぶりたくなる。そして、そのまま歩きたくなる。

 やってみると、意外に難しい。二、三歩だけなら簡単だが、十歩以上になると、急に恐怖心が芽生えてくる。駅のホームじゃあるまいし、広い場所だと分かっているんだから、危険なんてあるわけないじゃないかと思うかたは、ぜひ試していただきたい。もちろん、電柱にぶつかるとかドブにはまるとか、その程度の危険はあるにしても、人通りの少ない道を選べば、とりあえず致命傷になるような事故は避けられると思う。それでも怖いのだ。何か、偶発的な事故でも起きやしないかと。

 そこをぐっと我慢して歩く。すると、単純にして原始的な恐怖を味わうことができる。ホラー小説を読んだり、絶叫マシンに乗ったりする手間を省いて、ごく簡単に、わきあがる恐怖を味わうことができるのだ。実際、これほどの娯楽はないのではないかと思う。

 はじめの九歩は全く怖くない。平気な顔をして歩くことができる。最初の恐怖がおそってくるのは十歩目からである。まっすぐ歩いているつもりで、危険な場所に向かっているのではないか。知らないうちに周りに脅威が発生したのではないか。そんな疑心暗鬼にとらわれる。そして、目を開けたくなる。

 しかし、そこで目を開けてしまうと真の恐怖を味わうことはできない。また、その恐怖を乗り越えることができれば、五十歩ぐらいはほぼ確実に歩くことができる。そして、五十歩目を越えたときに本格的な恐怖がおそってくる。それを乗り越えられるかどうかがこのゲームの分かれ道になる。

 慣れればまっすぐに歩くことはそれほど難しくない。大きな荷物を持たず、また太陽光などに惑わされないようにすれば、あとは気持ちの問題である。自分がまっすぐ歩いていると信じ込めば、実際にまっすぐ歩けているものだ。しかし、そこに恐怖心との相克がある。恐怖心が産む疑心暗鬼に負けないぐらい自分の感覚を信じることができれば、どこまでも歩いて行くことができるのだろう。

 私の自己記録はちょうど百歩。他人の記録は聞いたことがないので、この記録が良いのか悪いのかは分からない。しかし、自分ではそれなりに満足している。正確な記録者がいないので、無意識に二、三歩ごまかしているかもしれないが、まあ、そのあたりには目をつぶっていただきたい。

仮病になりたい

 寒くなってきたと思ったら風邪をひいてしまった。今年の風邪は喉にくるらしく、昨日から咳がとまらないのだ。

 それにしても、風邪をひくと自由な時間が奪われる上に、周りの人間に迷惑をかけるので、大変心苦しいものである。風邪をひくのが上手い人などは、忙しくないときを狙ってタイミングよく風邪をひくことができるらしいのだが、私はそれが苦手らしい。今年も早々と風邪をひいてしまい、周りに菌をまきちらすばかりなので、精神衛生上良くないのである。

 もっと小さいとき、小学生のときなんかは今と違って気楽に風邪をひくことができた。風邪をひけば学校が休めるし、ちやほやと看病してもらえる。できることなら、今の風邪を当時の自分にうつしてやりたいとさえ思う。

 小さいときは「風邪をひけたらラッキー」と思っていたので、なんとか「風邪状態」になろうと、涙ぐましい努力をした。息をとめて真っ赤な顔をしたり、わざとらしく咳をしたりして、せこく学校を休もうとしたものだ。もちろん、それだけではなく、「風邪である」という客観的証拠をつくるために、なんとかして体温計の数値を上げようとしていた。

 ストーブの近くで体温をはかったり、焼きたてパンに体温計を押しつけたり(これで体温計をひとつ壊したことがある)、涙ぐましい努力をしたものだが、一番多く利用したのが摩擦熱を使う方法である。体温計を脇にじっとはさんでいるふりをして、こっそりと服に体温計をこすりつける。秒間五往復。すると、みるみるうちに体温は上がり、三十七度の熱など簡単に演出できてしまう。

 それを、どうだと言わんばかりに両親なり先生様に見せる。さすがに、両親にはすぐ見破られて、家をたたきだれる可能性が高いので、もっぱら学校の保健室でやることにしていた。朝、学校にいってすぐに保健室に行き、体温を測らせてもらう。数秒こすって数値を見ると、ぴたり三十七度五分である。熟練のなせる技である。今思うと、先生様だって仮病だと見破っていたような気もするが、そこは他人の遠慮か大人の配慮か厳しく追及することもなく、あっさりベッドで眠らせてもらえた。

 そこで、ぬくぬくと怠惰な日々を送っていたわけだが、今思うと、なぜあんなことに熱中していたのかと、ちょっと恥ずかしい。やはり、仮病だけに熱をあげてしまうのか。