空も飛べるはず

 「想像力の限界」という言葉がある。しかし、人間は「ウンコ味のカレー」や「カレー味のウンコ」すら容易に想像してしまう。その気になれば「ウンコ味のカレー風味のグラタン」や「ウンコ味の私」なども想像することができるだろう。はたして本当に「想像力の限界」などというものが存在するのであろうか。

 人はさまざまなことを想像する。楽しいことや悲しいことや怖いことなど、想像する範囲は広い。私は「人間コンピュータ」と呼ばれるほどリアリスティックな男だが(正確には「人間コンビーフ」だが細かいことはどうでもよい)、それでも想像力を持っている。ふだんから色々なことを想像する。「ランドセルが突然ジェット噴射して飛んでいった小学生の表情」とか「ふと窓を見たらエスカレーターのパントマイムをしている人がいたときの恐怖」とか、それなりに難しいことを想像する。だが、いまだに「想像力の限界」に達したことはない。

 「想像力の限界」というからには「これ以上想像できない、ぎりぎりの領域」であるだろう。いったいどの領域がそれにあたるのかはわかりにくい。ここは段階をおって考えるべきだろう。何かについて想像をする。そして、次第に難しい想像に進めていく。「これ以上は想像できない」という段階に達したら、そこが「想像力の限界」だ。目の前にパソコンがあるので、それに関して想像を進めていくことにする。

「普通のパソコン」

 これは想像するまでもない。目の前にあるのだから、それが普通のパソコンだ。「想像力の限界」まではまだまだ遠い。

「突然笑い出すパソコン」

 この程度ならまだまだ簡単に想像することができる。たぶん、誰だって想像をすることができるだろう。その笑い声まで想像することができる。そのときの私のあっけにとられた表情だって想像することもできる。あっけにとられていてもかっこいい。

「突然笑い出して怪光線を出すパソコン」

 まだまだ「想像力の限界」は遠い。これぐらいなら朝飯前とはいわないけれど、それほど難しくはない。こんな調子で「想像力の限界」に達することができるのだろうか。どうやら、もっと複雑に難しくしなければいけないようだ。

「突然笑い出して怪光線を出すパソコンの産卵」

 一気に難しくなった。いったいどこから卵を産むのだろう。卵を産むのにふさわしいのは、パソコン前面部のイヤホン端子穴ぐらいしかない。ここから卵が出てくるのだろうか。ずいぶん小さい卵だ。それともカエルの卵のようにウニョウニョと出てくるのか。

「突然笑い出して怪光線を出すパソコンの産卵を見て涙をながすおっさん」

 これはかなり「想像力の限界」まで近付いているのではないだろうか。ただのおっさんの涙でもそれなりに難しいが、この想像にはさらに難しい要素が加わっている。ややもすれば「オレは何を想像しているんだ」と叫び出しそうになるのをおさえつつ想像を続けなければならない。果てして次の段階に進めるだろうか。

「突然笑い出して怪光線を出すパソコンの産卵を見て涙をながすおっさんからのビデオレター」

 ここらあたりが限界か。もうこの時点で想像するのがかなり困難になっている。はっきりいって、この時点でおっさんが克明に想像できる人は、自分自身が想像力の産物でないか確かめたほうがいい。少なくとも私が想像できるのはここまでだ。

 …そうすると、これが「想像力の限界」というやつなのか。意外と人間の想像力などたいしたことがないみたいだ。それとも、人間の想像力があまりに暴走しないよう、ある程度におさえられているのだろうか。ひょっとしたら、「想像力の限界」を超えてしまうと、現実と想像の区別がつかなくなってしまうのかな。

 ねえ、おっさん。