小粒でもピリリ

《食べられません》と書かれた小さな袋

 気のせいかもしれないが、あれを見ることが少なくなってきていないか。本当に気のせいかもしれないし、食品を密封する技術などが発達してその必要性が薄らいできたのかもしれない。

 昔、あれのインパクトには、なかなかに強烈なものがあった。中には乾燥剤が入っているだけなのであり、食品といっしょに入れるぐらいだから、それほど致命的に毒性が強いというものではないだろう。ただ、小さいころに「絶対食べちゃだめだからね!」ときつく叱られたのかもしれないが、どうもあれは「ものすごい毒だ」という感じがしていた。

 とはいえ、そういうインパクトは歳とともに薄れてきて、人間のからだが意外にじょうぶであることもわかり、あまり「恐れ」というようなものを抱かなくなってきた。「よくわからないものに対しておびえる」という年齢ではなくなったのだろう。しかし、こんなふうに悪慣れしてしまって、子どものころあの袋に感じたおどろおどろしさを忘れてしまうのは、少し寂しくもある。

 では、現在の私にとってインパクトのある袋とはいったいどういうものなのか。

《許せません》と書かれた小さな袋

 こんなものが食品に入っていたら、そうとう怖いだろう。後ろ暗いことのある人間は、とてもその食品を食べることができないはずだ。あのことだろうか、それともこのことか、と想像力は止まらなくなる。幸いなことに、私には後ろ暗いことは片手で数えるほどしかない(ただし、片手に生えているうぶ毛を用いて数える)。それでも、そんな食品は食べたくない。

《見てません》と書かれた小さな袋

 あ、こいつ見てるな、と直感的にわかる。人は「見てない」と言いながら見ているのだ。指のすきまからそっと覗くのだ。いったいどこから見ているんだ。そこか、それともあそこか。オレを見るな、見るんじゃない。人をどこまでも追いつめる力を、この袋は持っている。

《わかりません》と書かれた小さな袋

 何がわからないのか。「私は三たす二がわかりません」といった、まるで自分と関係のないことならよい(よくないが)。しかし、そんなものをわざわざ食品に仕込むわけがない。きっと何かその食品に関係があることには違いないのである。ひょっとしたらつくるときに「何だかよくわからないもの」を入れてしまったのではないか。「ちょっとぐらいならいいか」と、そのまま放置してしまったのではないか。そんないいかげんな。「わかりません」と書いたからそれですむものでもないだろう。これはとても食べられたものじゃない。

 そうして人を疑り深くさせたあとで、そっと次のような袋を入れておく。

《食べられます》と書かれた小さな袋

 本当に食べられるのか。