胸いっぱいの愛と情熱を私に

 宮沢章夫の『百年目の青空』に「こつは生産される」というエッセイがあり、そこで友人が見つけたこつを紹介している。コンピュータには漢字変換システムがつきものだけど、それを電話帳にしてしまうというのだ。単語登録機能によって、たとえば「スズキタロウ」の変換語句として「XXX-XXX-XXXX」と電話番号を登録してしまう。そうすれば、わざわざ手帳をめくったりせずとも、コンピュータを立ち上げて、ワープロソフトを起動し、名前を入力して変換キーを押すだけで、いとも簡単に電話番号を調べられるのだという。

 これを「こつ」といっていいのかどうか疑念はあるけれど、もしこれを「こつ」といってもいいのであれば、私も「こつ」をひとつ持っている。同じく、漢字変換システムに関するこつだ。

 誰にだって、気分が落ち込むことはある。私のように、容貌・知性・財産のすべてにおいて卓越した人間であっても、ときどき自分すら騙しきれなくなって、落ち込むことがある。そんなときには、やはり誰かに慰めてほしいと思う。だけど、なかなかそんな気の利いた人間はいないものだ。私が落ち込んだ顔をしていると、嬉しそうに「おねしょでもしたの?」と訊いてくるような輩ばかりである。

 人間が慰めてくれないのなら、人間以外に慰めてもらうしかない。そこで「こつ」である。漢字変換システムの単語登録機能を利用して、落ち込んでいるときに効きそうな文章をあらかじめ登録しておくのだ。

 たとえば、「なんだかゆううつ」と入力すると、「ダイジョウブ?」と変換されるように、単語登録しておくのである。そして、いざ気持ちが落ち込んできたら、コンピュータ相手に愚痴を言うことができるのだ。前もってたくさんの単語を登録しておけば、コンピュータと癒しの会話をすることさえ可能である。

「なんだかゆううつ」
「ダイジョウブ?」
「なにもかもいやだ」
「ゲンキダシテ!」
「やさしいのはきみだけだ」
「アナタガスキナノ」
「そばにおいでよ」
「イヤーン」

 コンピュータの前には、ますます落ち込んでいる私がいた。