みんなの気持ちはうれしい

 子ども向けのアニメを見ていたら、番組の最後にプレゼントの告知があった。はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を書くよう指示されていたのだが、子ども向けなので画面に出るのはすべてひらがなだ。

  ・ じゅうしょ
  ・ しめい
  ・ ねんれい
  ・ でんわばんごう

 それを見て、少し違和感を感じた。

「使命?」

 少し考えれば、「しめい」が「氏名」であって「使命」ではないことはすぐわかることなのだけれど、子ども向けアニメなどを見ていると脳が退行して、そんなことにすら頭がまわらなくなる。それどころか「この設問で現代の子どもの意識調査をするのだろうか」「番組が子どもたちに与える影響を知りたいのだろうか」などと、設問の裏を読み取ろうとする始末だ。そんなことに頭をつかっている余裕があるのなら、半開きになっている口を閉じたほうがいい。

 ところで、考えすぎかもしれないが、はたしてふつうの子どもに「しめい」が「氏名」であり「使命」ではないと気付くことができるのだろうか。私が気付くことができたのは、私が「ひょっとしたら小学生を超えるかもしれない」と評されるほど優れた頭脳の持ち主だからこそである。私より知能が劣っていると考えられる子どもは、全国に三十人はくだらないはずだ。おそらくこの番組には、そのような子どもたちから、勘違いしたはがきが次々と届いているに違いないのである。

  ・ わたしは世界中をお花でいっぱいにしたいです。
  ・ ぼくの使命はバルタンせいじんをたおす!
  ・ あの、ユミさんでお願いします。

 ひとり「しめい」を「指名」と勘違いしているやつがいるのはともかく、こんなふうに全国から使命感に燃える子どもからのはがきが届くのである。考えただけでもわくわくするではないか。番組をつくっている人は、それらのはがきを読んで勇気づけられたり、感動したりすることだろう。そして、最も崇高なる「使命」の持ち主にプレゼントを送るのだ――といいたいところだが、残念ながら「氏名」が書かれていないので送れません。

想い出のほかに何が残るというのか

 卒業式で泣く人と泣かない人がいる。もちろん、私は泣く人だ。「卒業したら、みんなバラバラになっちゃうのかな…」。そんなふうに、猟奇殺人にまきこまれる同級生の姿を想像して、思わず涙をこぼす。

 一方で、卒業式に泣かない人もいる。もちろん、人にはそれぞれの感じかたがあり、泣きたくもないのに泣かなければならない理由はない。ただ、それが単に性格上の問題ならよいが、本当は泣きたいのに卒業式があまりに陳腐で泣けないのだとしたら、卒業式運営者には猛省をうながしたい。もっと工夫をこらせば、どんなに冷めた卒業生であろうとも涙をあふれさせずにいられなくなるのだ。

「来賓のウミガメが産卵」

 これは効くだろう。卒業生たちは手を握り締めて、親亀に声援をおくるに違いない。そして、親亀の流す涙につられて、思わず目をうるませるのである。無事に出産を終え海へと帰るウミガメにみんなで手をふって見送る感動のシーンもよい。問題があるとすれば、来賓がウミガメということだけだ。

「我が子をかばうため、必死で来賓の目をそらそうとする親鳥」

 我が子を思う親鳥の気持ちを考え、思わず心をうたれるシーンである。この卒業式を撮影するだけで、ドキュメンタリー番組が一本とれるほどだ。問題があるとすれば、来賓が小鳥を襲うことぐらいだ。

「生き別れの校長と初めて対面する卒業生たち」

 どよめく体育館。入学式のとき「強く生きろ…!」のことばとともに姿を消した校長との再会。卒業生たちは知らないが、実は校長は、卒業生たちの実の弟だという秘められた過去が…! どんな学校だ。

「催涙ガスを投擲して、機動隊が体育館に突入」

 卒業生をテロリストあつかい。でも、どんな生徒でも泣く。留置所で家族と対面して、また泣く。一粒で二度おいしいお得なコース。

 かように、卒業生たちを泣かせる演出にはことかかない。これらを複合することで、どんな卒業生でも涙をあふれさせて学校を卒業することだろう。ただし、嬉し涙だ。