愛が目覚める朝

 目覚し時計は、我々の起床すべき時間を忠実に知らせてくれる。だが、一方で、我々の安眠をとだえさせてしまうともいえる。はたして、彼は我々の味方なのだろうか、敵なのだろうか。多くの人は、こんな目覚ましにどう接すればよいのかわからず、悩んでいる。我々は、彼にやさしく接するべきなのか、つめたくあたるべきなのか、ちょっぴり甘えてみるべきなのか、どうすればいいのだろうか。

 私はといえば、あまり目覚ましに寛容とはいえない。そもそも、私はあまり寝起きがよいほうではない。起きてから十八時間ほどはぼんやりとしているし、起きた直後はなおさらだ。目覚ましが鳴ると一応目を覚ますものの、ひどく不機嫌である。目覚ましの役割を考えれば、「今日も起こしてくれてありがとう」ぐらいいってもばちはあたらないだろうが、思わず「うるさい!」と彼の頭を叩いてしまう。逆恨みもいいところだ。

 しかし、目覚ましにも非難すべき点がないわけではない。目覚まし時計の発想は、大音量や不快音によって我々を現実世界へ呼び起こそうというものである。なかには、空気圧や電流の刺激で目を覚まさせようとするものまである。このような考えかたでは、逆恨みされて当然だろう。力ずくで人の心は動かせないのだと、非力な私は思う。

 したがって、目覚ましはそのアプローチの方法を変えるべきであろう。目覚ましが正当に評価されるためには、「目覚ましに起こされた」と思わせないよう、工夫が必要である。たとえば、音量を極端に弱くして、せつなくなるような仔犬の鳴き声などを用いてみてはどうか。

 時間になると、目覚ましから弱った仔犬の声がかすかに聞こえてくる。

「くぅん、くぅん…」

 今にも消えてしまいそうな鳴き声である。夢うつつにそれを聞き、始めは無視しようとするが、どうにもおちつかない。がまんしきれず、ふとんからはいだす。目覚ましを見ると、カタカタと針がふるえている。思わず、目覚ましをはげます。がんばれ、目覚ましくん。病気なんかに負けるんじゃない。もっといっしょに過ごそう。神様、こいつの命を助けてくれるんだったら、なんだってします。どうか、助けてやってください。

 だが、必死の祈りもむなしく、次第に弱まっていく音量。そして、最後に弱々しくひとなきし、目覚まし時計はその活動を止める。涙をこぼしながら、思わず叫ぶ。

「目覚ましくん! 死ぬんじゃない、目を覚ましてくれっ!」

 お前がはやく目を覚ませ。