グッドモーニング

 いつもさわやかな私だが、寝起きは機嫌が悪い。もし、「世界寝起きが悪い選手権」があれば、寝起きだったら出場すらしないだろう。

 寝起きは悪いよりも良いほうがよい。できることなら、私も起きた瞬間から好青年でありたいと思っている。朝、窓を開けて「おはよう、小鳥さん」と快活に微笑み、「行くぞ! ジョン」と飼い犬とともにジョギングに駆け出すような青年になりたいものだと思う。ところが実際はといえば、起きると「おはよう、小人さん」と幻覚に悩まされ、「行くぞ! ジョン」と犬のようにいたぶられる毎日なのだ。

 なぜ寝起きというものは、人によって良かったり悪かったりするのか。もしかしたら、寝起きが悪いというのは、目覚めると良くないことが起こることを本能が察知して起こる現象なのかもしれない。もし、いつでも快晴で、角を曲がるたびに私に恋心を抱いている少女がぶつかってきて、街を歩けば青い鳥が肩にのっかってくるような毎日を送っているのであれば、とても寝起きが悪くなるとは考えられない。毎日が楽しくて、もちろん快活に起きることができるだろう。

 もっとも、寝起きが悪いからといって、私の日常にそれほど悪いことが起こっているのかといえば、そういうわけでもないような気もする。確かに上述したようなことはないが、まんざら悪いことばかりというわけでもない。とすると、ひょっとして「私は寝起きが悪い」という認識のほうが間違っていたのだろうか。自分の寝起きは悪いと思っていたけれど、本当はそれほどでもないのだろうか。実は、(薄々気付いていたことだが)朝からさわやかな好青年なのだろうか。

 さて、どちらだろう。私は毎日が幸せだけど朝は非さわやかなのか、たいして幸せなことはないけれど朝からさわやかなのか。こういうことは自分ではわかりにくいもので、他人に聞いてみた。

「いつでもさわやかじゃないよ」

 そうか!