泣かないで

 誰しも「一度は言ってみたいセリフ」があるが、役者でもないかぎり、そんなセリフをいう機会には恵まれない。だが、それでよいはずがない。いいたいセリフひとついえないようでは、ブラジャーをはずし忘れたまま外出したときのように、なにか胸にひっかかりを感じながら日々を過ごすことになる。余計なストレスを感じないためにも、セリフを口にする機会は逃さずにいたいものだ。

 たとえば、一度は言ってみたいセリフとして、こんなものがある。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 想定される状況としては、自分より強い相手に立ち向かうようなときであろうか。だが、いざ日常でこのセリフをいおうとしても、いう機会に恵まれない。それはそうだ。このセリフをいうには、まず自分が「好きにされる」必要があるが、そんな支配欲に満ちた知人はなかなか見つからないのである。

 ではどうすればよいのか。ここで代替案として提案したいのがコタツである。あの、心も身体も思うがままに蹂躙する悪魔の装置。おシャレな雑誌のような生活に憧れる田舎の女子中学生の夢を打ち砕く存在。そいつにいってやるのだ。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 そうして、コタツから颯爽と立ち上がる。強い意志を浮かべた眼でコタツをにらみつける。そのまぶしい姿は、思わず皆が目をそらすほどだ。

 他に、こんなセリフも言ってみたい。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 おそらく、状況は敵の幹部にもう少しでたどりつきそうなとき。我々には果たさねばならない任務がある。こんなところで足止めをくらうわけにはいかない。そう、ここで誰かが犠牲になる必要があるのだ。そこで上記のセリフを言い放つのである。「しかし…」とためらう仲間に向かって、「きっと、また会おうぜ」とかいいながら、敵の渦中に飛び込んでいくのだ。そんなかっこいいセリフをいってみたい。

 だが、それには何が必要か考えるのが面倒なくらいの準備が必要であり、そもそも、どうして私がそんな危険なシチュエーションに会わなければならないのか。そういうわけで、もっと手軽にいえるシチュエーションはないかと考えてみるに、こんなセリフをいってもおかしくないのは、屁だ。

 それも、ただの屁ではない。大を我慢しているときの屁だ。とてもおなかが痛くて、もう少しで漏れそうだけど、たぶん、いま出口にいるのは屁。慎重にコントロールすれば、大を出さずに屁だけを出して、少しおなかが楽になる。だが、これは賭けだ。括約筋を緩めすぎると、屁だけではなく、混沌が生まれる。まさに生と死の狭間。私は全神経を括約筋に集中させ、言い放つ。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 そうして、見事に気体のみを出すことに成功する。この達成感。自らが閉じ込められたままであることを知っていても、それでも友を脱出させるためなら、どんな危地をも厭わない。これが人間の証というものか。

 見事、友の脱出に成功させた私は下腹に意識を集中させる。成功した以上、ただ犬死するわけにはいかない。きっと安全圏で脱出しようと、私はトイレの個室に急ぐ。だが、友は去り、敵の攻撃は苛烈である。無事、脱出できるのか。

 あと数歩のところで、どこからともなく声が聞こえてくる。

「約束どおり、戻って来たぜ…」

 煙が目にしみただけだ。