『わたしのアンネット』における善良の意味

アルプス物語 わたしのアンネット
1983年1月9日~12月25日放映(全48話)

 私にとっての“神様”のイメージといえば、八百万の神である。

 つまり、大部分の生物や一部の無機物には神様が宿っていて、米には一粒当たり八十八柱の神様がいる。全知全能ではない。たくさん集まって「ちいちい」と鳴いたりする。なかには勘違いして人間のことを神様と思っているような神様もいる。神様なのでうんちはしない。もちろん、全知全能でないからといって侮ったりする存在ではない。

 そういうゆるい宗教観しか持たない私にとっては、このアニメはわりとハードだったりする。

 タイトルの「アルプス物語 わたしのアンネット」の「アンネット」は主人公の名前だが、「わたし」が誰なのか作中では明らかにされない。しかし、全話を見終わったうえで察するに、おそらくはキリスト教の神のことだろうと思われる。つまり、珍しいくらいにキリスト教を推してくる作品なのだ。

 このアニメでは、アンネットと幼馴染のルシエンがお互いに罪を犯し、それをいかに許しあうのかということがテーマになっているのだが、終盤は怒涛の宣教セリフが連発される。


『わたしのアンネット』10話 アンネットとルシエン

「イエス様…イエス様、私はいま私の心の扉を開きます。今まで心の扉を閉めたままでいたことをお許し下さい。どうぞ、私の心の中にお入り下さい。そして…そして、私があの木彫りの馬を壊した事をルシエンに正直に話すことが出来るよう、勇気をお与え下さい。ルシエンを私のところにお送り下さったことを感謝します。」(35話)

「アンネット、私は嬉しいよ。よくそこまで決心してくれたね、これも神様のご加護があったからだよ。イエス様はお前の心の中にも、ルシエンの心の中にも同時に入っておいでになった。本当にありがたいことだよ。でもアンネット、大事なのはこれからだよ。お前達は真剣にお互いのことを考えて、何が大切かを一生懸命に考えるようになった。そして、その結果お前達は仲直りすることが出来ました。でもそのうちにまた醜い心、怒りの心、自分勝手な心がお前の心の中に起こるかも知れない。そうなったとき、お前は今の素直な心を忘れないでいることが大切なんだよ。イエス様が深い愛をお持ちになってお前をお守り下さったように、お前も深い愛で答えなくてはならないよ。このことを忘れないようにね。」(37話)

「この聖書に書かれているように完全な愛は恐れをとりのぞくのです。イエス様は完全な愛で私たちをお守りくださっています。イエス様が愛してくださっていることを心の底から信じていれば、なんにもおそれるものはないのです。どんなものもわたしたちを傷つけることができないように守ってくださるのです。ルシエンは自分の罪の償いとして、このように危険なおこないをしました。でも、ルシエンの心の中には尊い愛があります。ダニーやお前のために尽くそうとする愛が。だからこそ、ルシエンは危険を恐れず峠を越えようとしているのです。ルシエンは恐れてはいません。私たちはそれを信じましょう。そして、ルシエンの帰りを待つのです。ルシエンの勇気を信じて。」(40話)

 いいたいことは理解できるが、こうも強くキリスト教を推されると、「別にキリスト教徒でなくても善良な人はたくさんいるんだけどな」と考えてしまう。やはり、クリスチャンのほうが楽しめる作品だろう。