『家なき子レミ』に足りないのは家だけなのか

家なき子レミ
1996年9月1日~1997年3月23日放映(全26話)

 1900年ごろのフランス。10歳の少女レミは、養父に売り飛ばされるところを旅芸人のヴィタリスに助けられ、ともに旅することになる。

 『家なき子レミ』は世界名作劇場のなかで『名犬ラッシー』と並んで最も短い全26話構成となっている。本放送時には未放送話が3話あったので、実質的には最短といえるだろう。その短さが、このアニメをずいぶん大味にしてしまったように思う。

 世界名作劇場において欠かせない、食事をしたり、たわいもない雑談をしたり、花を愛でたり、空を眺めたりといった、些細な日常描写がほとんどないがために、登場人物には生活感がなく、どこか親しみづらい印象を受ける。

 シナリオにも腑に落ちない部分が多い。人間嫌いだという旅芸人のヴィタリスがたいした理由もなくほぼ初対面のレミを助けたり(2話)、ヴィタリスが逮捕されて悲壮な決意をして街を出たレミが、何も状況は変わっていないのに翌日に街に戻ってきたり(9話)、そのほかにも随所で疑問を感じるシナリオとなっている。

 最も腑に落ちないのは、レミがミリガン夫人に保護されたとき、なぜ誰もレミがミリガン夫人の誘拐された娘だと考えなかったのかという点である。

・レミは捨て子であり、実母を探している。
・ミリガン夫人の娘は幼いころに誘拐された。
・レミと誘拐されたミリガン夫人の娘は同じ年頃である。
・レミは高価そうな産着を着て捨てられていた。
・レミは実母からもらったペンダントを持っている。

 これだけ分かっていれば、名探偵コナンを呼ぶまでもなく「もしかして、レミはミリガン夫人の娘では」と考えるだろう。いや、何の証拠がなくても、ミリガン夫人の息子アーサーとそっくりなレミが姉弟と思わないのは、どうかしている。


『家なき子レミ』11話 アーサーとレミとミリガン

 いろいろと不満はあるが、総じて丁寧さに欠けており、話の進め方が性急で、レミが周囲に流されるままの主体性のない主人公になってしまったのが残念なところだ。レミの決め台詞は「前へ進め!」だが、だいたいベルトコンベアーに乗っている感じである。

『ポルフィの長い旅』という長い旅

ポルフィの長い旅
2008年1月6日~12月28日放映(全52話)

 小学生のとき、作文の宿題で原稿用紙何枚以上と決まっているのに書くことがないときなど、少しでも文字数を増やすために「うれしかった」を「とてもうれしいという気もちを持ちました」みたいに無駄に冗長に書くことがあったが、このアニメを見てそんなことを思いだした。


『ポルフィの長い旅』20話 ポルフィ(12)

 人間そっくりだけど、どこか違うロボットに嫌悪を感じることを不気味の谷現象というけれど、この物語に見て感じたこともそれに通じるものがある。古今東西の様々な小説をインプットした人工知能がつじつまの合う場面をつなぎ合わせた、つぎはぎだらけの脚本。いうなれば、脚本におけるフランケンシュタインの怪物のようなもの。

 登場人物の行動がどこか変で、とにかく共感ができないのである。

 たとえば、下のようなことだ。

【問題】何年も絶交していた二人がむりやり会わせるとどうなる? (24話)
【予想】きまずい沈黙、ぎこちない会話など
【答え】すぐに笑顔で会話が弾む

【問題】トイレにて、ひとつしかない小便器を誰かが使っている。どうする? (24話)
【予想】少し待つ、大便器のほうで済ますなど
【答え】「どけ!」と使っている人を突き飛ばす

【問題】貨物列車が駅に止まっている。この後、旅客列車がやってくるそうだ。貨物列車が動きだした。どうする? (25話)
【予想】貨物列車の後にやってくる旅客列車に乗る
【答え】貨物電車に飛び乗る

【問題】地元の者以外は禁じられている場所で魚を捕っているところを見つかった。どうなる? (26話)
【予想】怒られる
【答え】マフィアのボスの屋敷に連れていかれる

【問題】二人ならんでアイスを舐めながら、会話のキャッチボール。「うまいぞ、このアイス」に対する返答は? (33話)
【予想】「そうだね」
【答え】「ぼくはもっとおいしいアイスたべたことある。母さんがつくってくれたんだ」

【問題】こっそりとトラックの荷台に乗り込んだが、どうやら運転手は密輸などする悪い奴みたいだ。車が止まったらどうする? (40話)
【予想】荷台から降り、運転手に見つからないよう、すぐに隠れる
【答え】荷台から降り、雪を見て感動。運転手に見つかる

 こういうのが全編を通して何十箇所もあり、全然興味がない前衛芸術を見せられたときのような気分になる。胸糞が悪くなるシーンも多く、世界名作劇場の看板がかかっているからといって、親子で見るようなことは決してオススメできない。

 それでも、未見の人にアドバイスらしきことをしておくと、第33話、第34話あたりは前後のつながりがあまりないので、それを見て気に入ったら見ることにすればよいと思う。ポルフィは長い旅をしたかもしれないが、これを全話見た私もそれに劣らず長い旅をした気分だ。

『愛少女ポリアンナ物語』から愛らしさが無くなったら

愛少女ポリアンナ物語
1986年1月5日~12月28日放映(全51話)

 「よかった探し」を抜きに、この作品は語れない。「よかった探し」とは、日頃から「よかった」と思えることを探し、いやなことや悲しいことがあっても落ち込みすぎないようにする生活の知恵のことである。主人公のポリアンナは4歳のときの母の死をきっかけによかった探しをするようになった。

 本編における記念すべき第1回目の「よかった」は、次のようなものである。

 外遊びから帰ってきたポリアンナは、父と食卓につく。食卓にはパンと牛乳しかのっておらず、ポリアンナは不平をいう。
「わたしいらない。ハムエッグがないんだったらわたし食べたくない」
 そんなわがままな態度を父は諭し、ポリアンナはすぐに反省する。
「ごめんなさい、おとうさん。このごろ火曜日にはいつもハムエッグが食べられたでしょ。だからわたし“今日も”って思ってたけど、今日だったら当たり前みたいでそんなにうれしくなかったかもしれないわね。きっと今度食べるときは今日の何倍もうれしいわ。よかった!」

 こんな調子で、ポリアンナは鈴のような声で、本編中に何十回と「よかった」を連発するのである。この作品を見終わったあとしばらくは「よかった」という単語を聞くたびに、ポリアンナの笑顔と四頭身の幼児体型が脳裏に浮かぶようになるほどである。


『愛少女ポリアンナ物語』6話 ポリアンナ(8)

 物語が進むと、ポリアンナにはさまざまな事件が訪れる。父の死(2話)や下半身不随になるほどの交通事故(21話)など、ハードな出来事に対しても「よかった」を探そうとするポリアンナの精神力はとても8歳児とは思えず、もしジョジョに登場していたら、さぞ強力なスタンド使いになっていたことだろう。

 ところで、この作品を見てから知ったのだが、心理学用語に「ポリアンナ症候群」というものがあるらしい。過度に楽観的であり、一見前向きだが実は問題点から目をそらしているだけというような症状のことをいう。

 アニメのポリアンナは幼いこともあってそのようにネガティブな印象を受けないのだが、大人になってからもこの調子では確かに困ることがあるかもしれない。仕事でミスをして「でも、おかげでこんなに課題が見つかったわ、よかった!」などと言われたら、上司はグーで殴りたくなるだろう。


『愛少女ポリアンナ物語』11話 よかったを見つけたポリアンナ

 そんなわけで、ポリアンナの将来を思うのであれば、「あまりよかった探しにのめりこむのをやめなさい」というべきなのかもしれない。しかし、ポリアンナにとって「よかった」はもはや口癖のようなもので、忠告されたからといって急にやめるのは難しい。そこで、「よかった」を少しだけ変えてみることにしてはどうか。

「ある意味よかった」

 つまり、最初のよかったはこんなふうになる。

「ごめんなさい、おとうさん。このごろ火曜日にはいつもハムエッグが食べられたでしょ。だからわたし“今日も”って思ってたけど、今日だったら当たり前みたいでそんなにうれしくなかったかもしれないわね。きっと今度食べるときは今日の何倍もうれしいわ。ある意味よかった!」

 思わずこぶしを握る父。

『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』を二回見たくない理由

大草原の小さな天使ブッシュベイビー
1992年1月12日~12月20日放映(全40話)

 1965年ごろのケニア。12歳のイギリス人の少女ジャッキーは、親をなくしたブッシュベイビー(以下、BB)の赤ちゃんを育てることになる。ちなみに、ジャッキーは世界名作劇場で最もグラマーなヒロインだろう。健康的で、イギリス人なのに紅茶より麦茶が似合うタイプである。


左『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』11話 ジャッキーとBB
右『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』25話 水着のジャッキー

 物語の前半ではジャッキーがBBを育てる様子や、ケニアでの生活が描かれるが、あまり起伏がなく退屈なストーリーである。

 物語が面白くなるのは後半からで、ジャッキーがケニア人のテンボと共にサバンナを横断する旅が描かれる。二人が密猟者やワランガ族に追われたり、ヒョウなどの野生動物に襲われたり、野火に巻かれたり、アフリカならではのダイナミックな冒険が繰り広げられる。

 ところで、この物語で最も印象に残るキャラクターは、主人公のジャッキーでも、タイトルにもなっているBBでも、相棒のテンボでもない。ジャッキーのクラスメイトのミッキーである。


『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』4話 ミッキー

 ミッキーは、ジャッキーの友人ヅラした性格の悪い肥満児である。なぜこんなにウザい性格のキャラクターを出したのか理解できない。ジャッキーに蛇を突き付けたり(3話)、わざとサッカーボールをぶつけたりしたときは(4話)、いじわるで女子の気を引こうとする不器用な男子ポジションなのかと思ったが、ジャッキーの兄を本人のいないところで笑い者にしていたあたりからは(10話)、さすがにうっとうしい奴としか思えなくなった。嫌われ者を集めたグループの中でも嫌われそうな男である。

 ミッキーはジャッキーの飼うBBをやたら欲しがるのだが、BBが川に落ちておぼれたときはガクガク震えながらボートの上で見ているだけである。泳げないテンボが川に飛び込んでBBを助けようとするのが、ミッキーのヘタレっぷりと対象的である (26話) 。もし世界中が敵になっても、こいつにだけは味方になってほしくない。

 ジャッキーとミッキーが密猟者に捕まったときは、ジャッキーに「俺を置いて逃げたりしないよな」とやたらに訴える(31~32話)。「お前とは違うんだよ」と言ってやりたい。ミッキーが嫌いになれるエピソードは書ききれないほどである。ディズニーはこいつにクレームをつけるべきだと思う。

 主役でもないのにここまで存在感のあるキャラクターは珍しい。

 なによりミッキーを見たくないがために、再び見ることをためらってしまう作品である。

『わたしのアンネット』における善良の意味

アルプス物語 わたしのアンネット
1983年1月9日~12月25日放映(全48話)

 私にとっての“神様”のイメージといえば、八百万の神である。

 つまり、大部分の生物や一部の無機物には神様が宿っていて、米には一粒当たり八十八柱の神様がいる。全知全能ではない。たくさん集まって「ちいちい」と鳴いたりする。なかには勘違いして人間のことを神様と思っているような神様もいる。神様なのでうんちはしない。もちろん、全知全能でないからといって侮ったりする存在ではない。

 そういうゆるい宗教観しか持たない私にとっては、このアニメはわりとハードだったりする。

 タイトルの「アルプス物語 わたしのアンネット」の「アンネット」は主人公の名前だが、「わたし」が誰なのか作中では明らかにされない。しかし、全話を見終わったうえで察するに、おそらくはキリスト教の神のことだろうと思われる。つまり、珍しいくらいにキリスト教を推してくる作品なのだ。

 このアニメでは、アンネットと幼馴染のルシエンがお互いに罪を犯し、それをいかに許しあうのかということがテーマになっているのだが、終盤は怒涛の宣教セリフが連発される。


『わたしのアンネット』10話 アンネットとルシエン

「イエス様…イエス様、私はいま私の心の扉を開きます。今まで心の扉を閉めたままでいたことをお許し下さい。どうぞ、私の心の中にお入り下さい。そして…そして、私があの木彫りの馬を壊した事をルシエンに正直に話すことが出来るよう、勇気をお与え下さい。ルシエンを私のところにお送り下さったことを感謝します。」(35話)

「アンネット、私は嬉しいよ。よくそこまで決心してくれたね、これも神様のご加護があったからだよ。イエス様はお前の心の中にも、ルシエンの心の中にも同時に入っておいでになった。本当にありがたいことだよ。でもアンネット、大事なのはこれからだよ。お前達は真剣にお互いのことを考えて、何が大切かを一生懸命に考えるようになった。そして、その結果お前達は仲直りすることが出来ました。でもそのうちにまた醜い心、怒りの心、自分勝手な心がお前の心の中に起こるかも知れない。そうなったとき、お前は今の素直な心を忘れないでいることが大切なんだよ。イエス様が深い愛をお持ちになってお前をお守り下さったように、お前も深い愛で答えなくてはならないよ。このことを忘れないようにね。」(37話)

「この聖書に書かれているように完全な愛は恐れをとりのぞくのです。イエス様は完全な愛で私たちをお守りくださっています。イエス様が愛してくださっていることを心の底から信じていれば、なんにもおそれるものはないのです。どんなものもわたしたちを傷つけることができないように守ってくださるのです。ルシエンは自分の罪の償いとして、このように危険なおこないをしました。でも、ルシエンの心の中には尊い愛があります。ダニーやお前のために尽くそうとする愛が。だからこそ、ルシエンは危険を恐れず峠を越えようとしているのです。ルシエンは恐れてはいません。私たちはそれを信じましょう。そして、ルシエンの帰りを待つのです。ルシエンの勇気を信じて。」(40話)

 いいたいことは理解できるが、こうも強くキリスト教を推されると、「別にキリスト教徒でなくても善良な人はたくさんいるんだけどな」と考えてしまう。やはり、クリスチャンのほうが楽しめる作品だろう。