『赤毛のアン』 アン・シャーリーの全盛期とは

赤毛のアン
1979年1月7日~12月30日放映(全50話)

 原作の小説は有名だが、内容を知らない人に向けて簡単に説明すると、感情の振幅が常人の三倍ある女の子アン・シャーリーがマシンガントーク(というかマシンガンスピーク)をしまくる作品である。アンとその他のキャラクターのセリフ量を比べてみたら、9:1ぐらいになっているのではないか。

 アニメでもアンの長広舌は健在である。特に気に入ってるのが、アンが悲しみに暮れながら最後に余計なことをいって台無しにしてしまうセリフで、聞くたびに笑ってしまう。(アン本人は大まじめだが)

「お昼なんかほしくないわ。何にも食べられないの。胸がはりさけそうなのよ。あたしをこんな目に会わせて、いつか心から後悔することがあると思うわ、マリラ。でも、あたし、許してあげるわ。その時が来たら、あたしが許したことを忘れないでね。でも、お願いだから、何か食べろなんて言わないでちょうだい。特に豚肉や野菜の煮物は困るわ。悩みを抱いている者に豚肉や野菜の煮物はあんまりロマンチックじゃなさすぎるんだもの。」(12話)

「ああ、マリラ。あたしは永久に浮かばれないわ。今度のことはいつまでたっても消えないわ。みんなにも知れるし――アヴォンリーじゃ何でも必ず人にわかるようにできているんですもの。ダイアナはあたしにケーキの出来具合を聞くにきまってるし、そうすればほんとうのことを言わないわけにはいかないでしょう。これから先いつまでも痛み止めの塗り薬をケーキの香料に使ったんだって指さされることになるわ。ああ、マリラ、少しでもクリスチャンらしい憐みが残っていたら、こんなことのあとで、食器を洗えなんてこと言わないでちょうだい。」(22話)

 アニメと小説でセリフはほとんど変わらないのだが、アニメになることでより笑えるようになっている。アンの表情がくるくる変わったり、セリフに間を取ったりするのはアニメならではである。アンがしゃべっている横で、マリラが「何いってんだコイツ」という顔でアンを見つめていたりするのもいい。


『赤毛のアン』18話 アン・シャーリー

 ところで、アンは村の学校を卒業するあたりからどんどん成長して容姿も性格も変わっていく。アンのこども時代を懐かしんで嘆くマリラに対し、アンはこんなふうに答える。

「マリラ、あたしはちっとも変わってないわ。ただ少し鋏を入れたり、枝をのばしただけなんだわ。ほんとうのあたしは、そのうしろにいて――今までとまったく同じなのよ。」

 そうはいうが、こういうのは自分では何を失ったのかわからないものだろう。衝動的で、好き嫌いが激しく、ロックで、たびたびうっとうしいアンは消えてしまい、「正しい」アンになってしまう。あれほど「この娘が大きくなったらどうなるんだろう」と思わせてくれたアンなのに。

 大きくなって精神的にも物質的にもすっかり満ち足りてしまったアンは、牙をなくしてしまった。それは、アン本人もマリラも望んでいたことだろう。しかし、正しくなっていくことは正しいのかということを考えさせられる。大人の階段とは、実は下りなんじゃなかろうか。

『家なき子レミ』に足りないのは家だけなのか

家なき子レミ
1996年9月1日~1997年3月23日放映(全26話)

 1900年ごろのフランス。10歳の少女レミは、養父に売り飛ばされるところを旅芸人のヴィタリスに助けられ、ともに旅することになる。

 『家なき子レミ』は世界名作劇場のなかで『名犬ラッシー』と並んで最も短い全26話構成となっている。本放送時には未放送話が3話あったので、実質的には最短といえるだろう。その短さが、このアニメをずいぶん大味にしてしまったように思う。

 世界名作劇場において欠かせない、食事をしたり、たわいもない雑談をしたり、花を愛でたり、空を眺めたりといった、些細な日常描写がほとんどないがために、登場人物には生活感がなく、どこか親しみづらい印象を受ける。

 シナリオにも腑に落ちない部分が多い。人間嫌いだという旅芸人のヴィタリスがたいした理由もなくほぼ初対面のレミを助けたり(2話)、ヴィタリスが逮捕されて悲壮な決意をして街を出たレミが、何も状況は変わっていないのに翌日に街に戻ってきたり(9話)、そのほかにも随所で疑問を感じるシナリオとなっている。

 最も腑に落ちないのは、レミがミリガン夫人に保護されたとき、なぜ誰もレミがミリガン夫人の誘拐された娘だと考えなかったのかという点である。

・レミは捨て子であり、実母を探している。
・ミリガン夫人の娘は幼いころに誘拐された。
・レミと誘拐されたミリガン夫人の娘は同じ年頃である。
・レミは高価そうな産着を着て捨てられていた。
・レミは実母からもらったペンダントを持っている。

 これだけ分かっていれば、名探偵コナンを呼ぶまでもなく「もしかして、レミはミリガン夫人の娘では」と考えるだろう。いや、何の証拠がなくても、ミリガン夫人の息子アーサーとそっくりなレミが姉弟と思わないのは、どうかしている。


『家なき子レミ』11話 アーサーとレミとミリガン

 いろいろと不満はあるが、総じて丁寧さに欠けており、話の進め方が性急で、レミが周囲に流されるままの主体性のない主人公になってしまったのが残念なところだ。レミの決め台詞は「前へ進め!」だが、だいたいベルトコンベアーに乗っている感じである。

『ポルフィの長い旅』という長い旅

ポルフィの長い旅
2008年1月6日~12月28日放映(全52話)

 小学生のとき、作文の宿題で原稿用紙何枚以上と決まっているのに書くことがないときなど、少しでも文字数を増やすために「うれしかった」を「とてもうれしいという気もちを持ちました」みたいに無駄に冗長に書くことがあったが、このアニメを見てそんなことを思いだした。


『ポルフィの長い旅』20話 ポルフィ(12)

 人間そっくりだけど、どこか違うロボットに嫌悪を感じることを不気味の谷現象というけれど、この物語に見て感じたこともそれに通じるものがある。古今東西の様々な小説をインプットした人工知能がつじつまの合う場面をつなぎ合わせた、つぎはぎだらけの脚本。いうなれば、脚本におけるフランケンシュタインの怪物のようなもの。

 登場人物の行動がどこか変で、とにかく共感ができないのである。

 たとえば、下のようなことだ。

【問題】何年も絶交していた二人がむりやり会わせるとどうなる? (24話)
【予想】きまずい沈黙、ぎこちない会話など
【答え】すぐに笑顔で会話が弾む

【問題】トイレにて、ひとつしかない小便器を誰かが使っている。どうする? (24話)
【予想】少し待つ、大便器のほうで済ますなど
【答え】「どけ!」と使っている人を突き飛ばす

【問題】貨物列車が駅に止まっている。この後、旅客列車がやってくるそうだ。貨物列車が動きだした。どうする? (25話)
【予想】貨物列車の後にやってくる旅客列車に乗る
【答え】貨物電車に飛び乗る

【問題】地元の者以外は禁じられている場所で魚を捕っているところを見つかった。どうなる? (26話)
【予想】怒られる
【答え】マフィアのボスの屋敷に連れていかれる

【問題】二人ならんでアイスを舐めながら、会話のキャッチボール。「うまいぞ、このアイス」に対する返答は? (33話)
【予想】「そうだね」
【答え】「ぼくはもっとおいしいアイスたべたことある。母さんがつくってくれたんだ」

【問題】こっそりとトラックの荷台に乗り込んだが、どうやら運転手は密輸などする悪い奴みたいだ。車が止まったらどうする? (40話)
【予想】荷台から降り、運転手に見つからないよう、すぐに隠れる
【答え】荷台から降り、雪を見て感動。運転手に見つかる

 こういうのが全編を通して何十箇所もあり、全然興味がない前衛芸術を見せられたときのような気分になる。胸糞が悪くなるシーンも多く、世界名作劇場の看板がかかっているからといって、親子で見るようなことは決してオススメできない。

 それでも、未見の人にアドバイスらしきことをしておくと、第33話、第34話あたりは前後のつながりがあまりないので、それを見て気に入ったら見ることにすればよいと思う。ポルフィは長い旅をしたかもしれないが、これを全話見た私もそれに劣らず長い旅をした気分だ。

『愛少女ポリアンナ物語』から愛らしさが無くなったら

愛少女ポリアンナ物語
1986年1月5日~12月28日放映(全51話)

 「よかった探し」を抜きに、この作品は語れない。「よかった探し」とは、日頃から「よかった」と思えることを探し、いやなことや悲しいことがあっても落ち込みすぎないようにする生活の知恵のことである。主人公のポリアンナは4歳のときの母の死をきっかけによかった探しをするようになった。

 本編における記念すべき第1回目の「よかった」は、次のようなものである。

 外遊びから帰ってきたポリアンナは、父と食卓につく。食卓にはパンと牛乳しかのっておらず、ポリアンナは不平をいう。
「わたしいらない。ハムエッグがないんだったらわたし食べたくない」
 そんなわがままな態度を父は諭し、ポリアンナはすぐに反省する。
「ごめんなさい、おとうさん。このごろ火曜日にはいつもハムエッグが食べられたでしょ。だからわたし“今日も”って思ってたけど、今日だったら当たり前みたいでそんなにうれしくなかったかもしれないわね。きっと今度食べるときは今日の何倍もうれしいわ。よかった!」

 こんな調子で、ポリアンナは鈴のような声で、本編中に何十回と「よかった」を連発するのである。この作品を見終わったあとしばらくは「よかった」という単語を聞くたびに、ポリアンナの笑顔と四頭身の幼児体型が脳裏に浮かぶようになるほどである。


『愛少女ポリアンナ物語』6話 ポリアンナ(8)

 物語が進むと、ポリアンナにはさまざまな事件が訪れる。父の死(2話)や下半身不随になるほどの交通事故(21話)など、ハードな出来事に対しても「よかった」を探そうとするポリアンナの精神力はとても8歳児とは思えず、もしジョジョに登場していたら、さぞ強力なスタンド使いになっていたことだろう。

 ところで、この作品を見てから知ったのだが、心理学用語に「ポリアンナ症候群」というものがあるらしい。過度に楽観的であり、一見前向きだが実は問題点から目をそらしているだけというような症状のことをいう。

 アニメのポリアンナは幼いこともあってそのようにネガティブな印象を受けないのだが、大人になってからもこの調子では確かに困ることがあるかもしれない。仕事でミスをして「でも、おかげでこんなに課題が見つかったわ、よかった!」などと言われたら、上司はグーで殴りたくなるだろう。


『愛少女ポリアンナ物語』11話 よかったを見つけたポリアンナ

 そんなわけで、ポリアンナの将来を思うのであれば、「あまりよかった探しにのめりこむのをやめなさい」というべきなのかもしれない。しかし、ポリアンナにとって「よかった」はもはや口癖のようなもので、忠告されたからといって急にやめるのは難しい。そこで、「よかった」を少しだけ変えてみることにしてはどうか。

「ある意味よかった」

 つまり、最初のよかったはこんなふうになる。

「ごめんなさい、おとうさん。このごろ火曜日にはいつもハムエッグが食べられたでしょ。だからわたし“今日も”って思ってたけど、今日だったら当たり前みたいでそんなにうれしくなかったかもしれないわね。きっと今度食べるときは今日の何倍もうれしいわ。ある意味よかった!」

 思わずこぶしを握る父。

『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』を二回見たくない理由

大草原の小さな天使ブッシュベイビー
1992年1月12日~12月20日放映(全40話)

 1965年ごろのケニア。12歳のイギリス人の少女ジャッキーは、親をなくしたブッシュベイビー(以下、BB)の赤ちゃんを育てることになる。ちなみに、ジャッキーは世界名作劇場で最もグラマーなヒロインだろう。健康的で、イギリス人なのに紅茶より麦茶が似合うタイプである。


左『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』11話 ジャッキーとBB
右『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』25話 水着のジャッキー

 物語の前半ではジャッキーがBBを育てる様子や、ケニアでの生活が描かれるが、あまり起伏がなく退屈なストーリーである。

 物語が面白くなるのは後半からで、ジャッキーがケニア人のテンボと共にサバンナを横断する旅が描かれる。二人が密猟者やワランガ族に追われたり、ヒョウなどの野生動物に襲われたり、野火に巻かれたり、アフリカならではのダイナミックな冒険が繰り広げられる。

 ところで、この物語で最も印象に残るキャラクターは、主人公のジャッキーでも、タイトルにもなっているBBでも、相棒のテンボでもない。ジャッキーのクラスメイトのミッキーである。


『大草原の小さな天使ブッシュベイビー』4話 ミッキー

 ミッキーは、ジャッキーの友人ヅラした性格の悪い肥満児である。なぜこんなにウザい性格のキャラクターを出したのか理解できない。ジャッキーに蛇を突き付けたり(3話)、わざとサッカーボールをぶつけたりしたときは(4話)、いじわるで女子の気を引こうとする不器用な男子ポジションなのかと思ったが、ジャッキーの兄を本人のいないところで笑い者にしていたあたりからは(10話)、さすがにうっとうしい奴としか思えなくなった。嫌われ者を集めたグループの中でも嫌われそうな男である。

 ミッキーはジャッキーの飼うBBをやたら欲しがるのだが、BBが川に落ちておぼれたときはガクガク震えながらボートの上で見ているだけである。泳げないテンボが川に飛び込んでBBを助けようとするのが、ミッキーのヘタレっぷりと対象的である (26話) 。もし世界中が敵になっても、こいつにだけは味方になってほしくない。

 ジャッキーとミッキーが密猟者に捕まったときは、ジャッキーに「俺を置いて逃げたりしないよな」とやたらに訴える(31~32話)。「お前とは違うんだよ」と言ってやりたい。ミッキーが嫌いになれるエピソードは書ききれないほどである。ディズニーはこいつにクレームをつけるべきだと思う。

 主役でもないのにここまで存在感のあるキャラクターは珍しい。

 なによりミッキーを見たくないがために、再び見ることをためらってしまう作品である。

『わたしのアンネット』における善良の意味

アルプス物語 わたしのアンネット
1983年1月9日~12月25日放映(全48話)

 私にとっての“神様”のイメージといえば、八百万の神である。

 つまり、大部分の生物や一部の無機物には神様が宿っていて、米には一粒当たり八十八柱の神様がいる。全知全能ではない。たくさん集まって「ちいちい」と鳴いたりする。なかには勘違いして人間のことを神様と思っているような神様もいる。神様なのでうんちはしない。もちろん、全知全能でないからといって侮ったりする存在ではない。

 そういうゆるい宗教観しか持たない私にとっては、このアニメはわりとハードだったりする。

 タイトルの「アルプス物語 わたしのアンネット」の「アンネット」は主人公の名前だが、「わたし」が誰なのか作中では明らかにされない。しかし、全話を見終わったうえで察するに、おそらくはキリスト教の神のことだろうと思われる。つまり、珍しいくらいにキリスト教を推してくる作品なのだ。

 このアニメでは、アンネットと幼馴染のルシエンがお互いに罪を犯し、それをいかに許しあうのかということがテーマになっているのだが、終盤は怒涛の宣教セリフが連発される。


『わたしのアンネット』10話 アンネットとルシエン

「イエス様…イエス様、私はいま私の心の扉を開きます。今まで心の扉を閉めたままでいたことをお許し下さい。どうぞ、私の心の中にお入り下さい。そして…そして、私があの木彫りの馬を壊した事をルシエンに正直に話すことが出来るよう、勇気をお与え下さい。ルシエンを私のところにお送り下さったことを感謝します。」(35話)

「アンネット、私は嬉しいよ。よくそこまで決心してくれたね、これも神様のご加護があったからだよ。イエス様はお前の心の中にも、ルシエンの心の中にも同時に入っておいでになった。本当にありがたいことだよ。でもアンネット、大事なのはこれからだよ。お前達は真剣にお互いのことを考えて、何が大切かを一生懸命に考えるようになった。そして、その結果お前達は仲直りすることが出来ました。でもそのうちにまた醜い心、怒りの心、自分勝手な心がお前の心の中に起こるかも知れない。そうなったとき、お前は今の素直な心を忘れないでいることが大切なんだよ。イエス様が深い愛をお持ちになってお前をお守り下さったように、お前も深い愛で答えなくてはならないよ。このことを忘れないようにね。」(37話)

「この聖書に書かれているように完全な愛は恐れをとりのぞくのです。イエス様は完全な愛で私たちをお守りくださっています。イエス様が愛してくださっていることを心の底から信じていれば、なんにもおそれるものはないのです。どんなものもわたしたちを傷つけることができないように守ってくださるのです。ルシエンは自分の罪の償いとして、このように危険なおこないをしました。でも、ルシエンの心の中には尊い愛があります。ダニーやお前のために尽くそうとする愛が。だからこそ、ルシエンは危険を恐れず峠を越えようとしているのです。ルシエンは恐れてはいません。私たちはそれを信じましょう。そして、ルシエンの帰りを待つのです。ルシエンの勇気を信じて。」(40話)

 いいたいことは理解できるが、こうも強くキリスト教を推されると、「別にキリスト教徒でなくても善良な人はたくさんいるんだけどな」と考えてしまう。やはり、クリスチャンのほうが楽しめる作品だろう。

『愛の若草物語』 目立たぬ長女メグに愛を込めて

愛の若草物語
1987年1月11日~12月27日放映(全48話)

 南北戦争中のアメリカ北東部に住むマーチ家の四姉妹が、父の出征で女ばかりの家の留守を預かり、お互いに助け合いながら成長していく姿を描いた物語である。


『愛の若草物語』24話 左上メグ(16)、右上ジョオ(15)、左下ベス(10)、右下エイミー(7)

 見終わって思ったが、長女メグのあつかいが悪くないか。

 次女ジョオは文学、三女ベスは音楽、四女エイミーは絵画とそれぞれに特技が設定されているのに、メグには何もない。

 メグに関するエピソードも、舞踏会デビューしようとしたら戦火に巻き込まれてできなかったとか(6話)、念願の舞踏会デビューを果たしたら足をくじいたとか(19話)、舞踏会で着飾ったら「孔雀みたい」と言われたとか(31話)、あまりメグの魅力を伝えるものがない。

 ほかの3人については、それぞれに印象的なエピソードがある。

 次女のジョオは37話で、戦地でケガをした父親のために自らの髪を売る。家族の前では、あっけらかんと「もじゃもじゃのときよりきっと頭がよく働くわ。軽くてひんやりして気持ちがいいのよ」と笑う。しかし、乙女が髪を切って平気でいられるわけがない。部屋に戻ったジョオは、ひとり枕を濡らす。思わず、頭を撫ぜながら、「だいじょうぶ? おれと結婚する?」といいたくなるシーンである。

 三女のベスは11話で空想のピアノを弾き、本物が弾きたくて涙を浮かべるほどのピアノ好きである。いろいろあって、隣家の老紳士ローレンスからピアノを贈られる。ふだんは冬眠中のシマリスよりおとなしく、マメ科の花より目立たないベスが、「私、幸せすぎて倒れそうなの…」とからだを震わせ、ひとりローレンスのもとへ出かけ、抱きついてお礼をいうシーンに、視聴者は萌え狂わざるを得ない。好きである。


『愛の若草物語』26話 ローレンスとベス

 四女のエイミーの42話における健気さは特筆すべきことである。ベスが病気で倒れ、感染しないように大叔母の家に預けられたエイミー。自宅には近づかないように言われるのだが、ある雪の日にがまんできずに自宅の庭先まで来てしまう。いつもはでしゃばりで我の強いエイミーが、ただ心配そうに家を見上げて雪の降る庭先にたたずんでいるところは、家族愛の象徴ともいえるシーンである。

 あと、メグはボンレスハムみたいな髪をしている。

 ――と、澤選手のようにオチ担当になってしまうのがメグなのである。若草物語で人気投票をしたら、ほかの三姉妹が上位に食い込む中、ひとりだけ9位とか微妙な順位になって、視聴者をいたたまれない気持ちにしそうなのがメグなのである。

 メグは47話でプロポーズされるのだが、最初は断ろうと思っていたのに、大叔母から「あんな貧乏人はやめておけ」と言われて、「そんなことないわ、彼はいい人よ!」とプロポーズを承諾してしまう。そんな勢いで決めて後悔しないか、老婆心ながら心配である。

 とにかく、どうか彼女に幸せがめぐってきますように。(メグだけに)

『ふしぎな島のフローネ』に学ぶ無人島生活の心得

家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ
1981年1月4日~12月27日放映(全50話)

 友人に招かれ、スイスからオーストラリアへ移住することにしたロビンソン一家は、オーストラリア直前で船が難破し、近くの無人島に上陸して生活することになる。

 ロビンソン一家は、船の難破をはじめ、さまざまなトラブルに見舞われる。長男が毒虫によって失明しそうになったり、次男がマラリアにかかったり、オオカミの群れに襲われたり、苦労してつくった船がすぐに転覆したり、世界名作劇場の他の作品と比べてもかなり悲惨な目に会っているのだが、全体としてはフローネがちょっぴり変わった南国リゾート生活を満喫している印象を受ける作品である。


左『ふしぎな島のフローネ』21話 海亀の孵化を見守るロビンソン一家
右『ふしぎな島のフローネ』25話 火おこしをするロビンソン一家

 ところで、せっかくの無人島ものなので、ここであらためて「無人島に何かひとつだけ持っていくとしたら何がいいか」という、いわゆる無人島問題を『ふしぎな島のフローネ』を通じて考えてみたい。

 なんでもありの条件ならば、「フローネのお父さん」が最もよい選択だろう。職業は医者であり、無人島生活で頼りになることは間違いない。しかも、サバイバルの知識が豊富で、力仕事や工作も得意とする。医師不足で困っているオーストラリアの人々のために移住を決意するほど高潔な性格である。状況判断力や行動力にすぐれ、物語を通じて失敗らしい失敗といえば、兄にブスと言われて傷つくフローネに「人間に大事なのは姿かたちの美しさじゃない。気持ちが美しいかどうかなんだ」と言って、余計に怒らせてしまったことぐらいか。

 たしかに、フローネはひょうたんのような輪郭、団子鼻、平安眉という特徴的な容姿を持ち、美人といわれるような顔ではない。しかし、表情が豊富で、小柄な体を大きく動かして木登りしたり転げまわったりする姿はとてもかわいらしく感じられる。作画によっては、たまにドキッとするほどブサイクである。

 物品に限るという条件ならば、ロビンソン一家が無人島に持ち込んだものは、医療品、調理器具、調味料、大工用具、着替え、カーテン、銃、双眼鏡、植物の種、聖書、ナイフなど多岐にわたる。アニメを参考にしても、このうちひとつだけを選ぶのは、どれも一長一短で難しい。

 ただし、無人島問題を考えるとき、つい「どうやって生き延びるか」を考えてしまいがちだが、「どうやって脱出するのか」という視点から選ぶことも大切だということがこのアニメをみるとよくわかる。たとえば、ロビンソン一家は大きい布を縫い合わせて帆布にして脱出船にとりつけたが、あらかじめ用意しておかないと無人島ではそれに代わるものを見つけるのも難しいことから、「ありったけの布」というのも無人島問題の有力な答えのひとつかもしれない。


『ふしぎな島のフローネ』48話 ロビンソン一家の船出

 あるいは、無人島問題の答えは人でも物でもないのかもしれない。ロビンソン一家を見ていてつくづく思うのは、心の強さである。なにしろ、無人島にもかかわらず、フローネは算数の勉強をさせられていた。ふつうの神経なら教える方も教わる方も、この非常事態にそんなことをするのに耐えられないのではないか。だが、ロビンソン一家は決して自暴自棄にならなかった。

 いざ、無人島から脱出するにあたっても、自分の現在位置もわからず大洋に乗り出して無事に陸地につく可能性が高いとは思えない。それでも、島の脱出の成功を信じ、踏み切ることのできる心の強さ。それこそが、無人島問題の答えなのかもしれない。

 余談であるが、無人島に上陸してからフローネは、いつも赤いハイビスカスを髪に挿している。その花ことばは「勇敢」である。


『ふしぎな島のフローネ』12話 ポーズを決めるフローネ

世界名作劇場を全部見た

 アニメ世界名作劇場の全26作品を見た。全1161話である。

 この偉大な偉業の偉さを伝えるべく、よくある言いまわしで「一日中見続けても●日もかかる!」と書こうと計算してみたら、20日というあまりインパクトのない数字になり、もしかしてたいしたことのない偉業なのかもしれないと、とまどっているところである。

 しかしまあ、せっかく全部見たのだから、忘れないうちに各作品の感想を書いていこうと思っている。

 まず、世界名作劇場とは何か。1975年から2009年まで日曜19時30分から放送されていた外国の児童文学を原作としたアニメ、というのがだいたいの定義だが、定義に当てはまらない作品もいくつかある。ここでは、この文章の最後のリストに挙げた26作品のことを指すものとする。

 なお、『アルプスの少女ハイジ』が世界名作劇場に含まれるかどうかは諸説あるようだが、ふつうは含まないようである。というのも、ハイジはズイヨー映像という会社が、次作の『フランダースの犬』は日本アニメーションという会社が制作した、という違いがあるらしい。

 なぜそんなふうになったのか気になったので、ズイヨー映像設立者でハイジのプロデューサーを務めた高橋茂人氏の評伝を読んでみるとこんなふうに書いてある。

理想の作品を求めて起こしたスタジオに今最高のスタッフがそろっている。これからだと思っていた。だがある日、高橋が海外の出張先から戻ってくると、スタジオはそっくり新会社に移管されていた。高畑ら現場の人間も何が起きたかわからない間の出来事だった。

ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』(岩波書店)

 それぐらいしか書いてない。よくわからないので、次に、ハイジのオープニングの作画などを手掛けた森やすじ氏の自伝を読んでみると、こんなふうに書いてある。

 ズイヨー映像は そこで 働いていた人達からすれば 現在の 日本アニメ―ションと同じです
 でも チンプンカンな出来事がありました 二 三年たって 社長さんが代わられたのです
 新しい社長は 働きものの 庶民的な方でしたから それでよかったのですが 以前の社長が ズイヨーという社名と一緒に その時までに製作したテレビアニメの 「ロッキーチャック」や「ハイジ」の権利も持って行ったのです
 スタッフは そのまま残っているというのに そのときから それらの作品は 他人の家のものになってしまったのです

森やすじ『アニメーターの自伝 もぐらの歌』(アニメージュ文庫)

 やっぱり、よくわからない。肝心の、誰がなぜそうしたのかがわからない。なにかイザコザがあったのだろうか。

 話を戻すが、各作品の感想は順不同で書き、最後におすすめ作品などを挙げてみたいと思っているので、よろしくお付き合いのほど。

【世界名作劇場リスト】
01. フランダースの犬(全52話)
02. 母をたずねて三千里(全52話)
03. あらいぐまラスカル(全52話)
04. ペリーヌ物語(全53話)
05. 赤毛のアン(全50話)
06. トム・ソーヤーの冒険(全49話)
07. 家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ(全50話)
08. 南の虹のルーシー(全50話)
09. アルプス物語 わたしのアンネット(全48話)
10. 牧場の少女カトリ(全49話)
11. 小公女セーラ(全46話)
12. 愛少女ポリアンナ物語(全51話)
13. 愛の若草物語(全48話)
14. 小公子セディ(全43話)
15. ピーターパンの冒険(全41話)
16. 私のあしながおじさん(全40話)
17. トラップ一家物語(全40話)
18. 大草原の小さな天使 ブッシュベイビー(全40話)
19. 若草物語 ナンとジョー先生(全40話)
20. 七つの海のティコ(全39話)
21. ロミオの青い空(全33話)
22. 名犬ラッシー(全26話)
23. 家なき子レミ(全26話)
24. レ・ミゼラブル 少女コゼット(全52話)
25. ポルフィの長い旅(全52話)
26. こんにちはアン ~Before Green Gables(全39話)