アイスエイジセオリー

 中国の顔認証システムの記事を読んだ。なんでも、横断歩道の手前に顔認証システムが設置されており、信号無視をするとシステムが違反者を特定して、クレジットカードから罰金が自動で引き落とされるのだとか。

 公共の場所での顔認証システムというと監視社会とか個人統制とかネガティブなイメージがあるが、SFが好きな私としてはその進歩にちょっと期待してしまう部分もある。

 今は犯罪抑止とか捜査のために使われていることが多いようだが、このまま普及していけば他に色々なデータを取るようになるだろう。それがコンピュータに分析され、経済も政治もそのデータをもとに決定されるようになるのだろう。そのうち、より詳細に分析するためにどんどんくだらないデータが取られるようになるに違いない。
 
 ただし、そうやって集められたデータを対象が意識するとそれ自体が抑制因子になるため、対象にデータの内容を知らせることはない。ただ、対象の人生が終わりに近づいたころ、コンピュータが集めたデータについて教えてくれたりしたら面白いかもしれない。
 
 遠い未来、苦痛を取りさられ、ベッドに横たわり緩慢に死に向かう老人の枕元で、コンピュータがこれまで集計した彼の人生のデータを語り掛ける。

「あなたが今までに食べたバナナは513本です」
(ふーん、そんなに食べたんだなあ)

「あなたの生涯におけるジャンケンの戦績は1459勝1389敗です」
(へえ、けっこう勝ち越してるんだ)

「あなたを片思いしていた女性の数は3人です」
(マジか、まあもうどうでもいいけど…)

 あと、意外なことで世界上位になっていることを教えてくれたりする。

「あなたがペリーヌ物語49話を見返した回数は27回です。これは世界13位です」
(そっか、何回見ても泣けるんだよ、あの話…)

「あなたが左腕の力こぶを舐めて『んほぉ』と言った回数は1741回です。これは世界2位です」
(ふーん、1位のやつは何なの?)

 まあ、死にゆく者に対することなので、たいていは「ふーん」で済んでしまう。いよいよ意識が遠のいていく中、コンピュータは最後のデータを告げる。

「あなたが人生を生きた回数は1回です。これは世界同率2位です」
(ふーん…、えっ)

俺もおソノさんも山田くんも

 うすうす気付いている人も多いと思うが、いちおう報告しておくと、今回のワールドカップでも私は日本代表に選ばれなかった。

 見たところ、日本代表に選ばれているのはサッカー選手ばかりである。日本を代表する漆塗り職人や三味線奏者であっても、ワールドカップの日本代表には選ばれていない。おそらく、ワールドカップではサッカーの試合が行われるため、サッカー選手を選んでいるのだと思われる。メガネ屋の店員が、だいたいメガネをかけているのと似ている。

 とはいえ、日本代表にはサッカー選手を選ばなければならないと決まっているわけではないだろう。誰にでもチャンスはある。もちろん、サッカーが上手いにこしたことはないだろうが、下手でもチームの精神的支柱として選ばれることも考えられる。

 精神的支柱といえば、頼りがいとか包容力とか、そういうものが大切であろうと想像される。だったら、サッカーの技術は必要不可欠というわけではないし、サッカーが上手すぎたりすると、チームメイトはライバル心や嫉妬心からかえって頼りづらかったりすることもあるだろう。そんなわけで、チームの精神的支柱はむしろサッカー選手ではないほうがいいような気もする。

 なんとなく思うに、私が日本代表チームの精神的支柱を選ぶとしたら、「アハハハハッ!」と豪快に笑うような、子どもを4人ぐらい産んでそうな、ちょっとやそっとで動じなさそうな、言葉ではなく存在で説得力を持たせられるような、そんな人物にするだろう。仮に、彼女の名前は「おソノさん」としておこう。

 おソノさんは、サッカーボールに触ったこともないし、ひとりだけユニフォームの上にエプロンをつけている。

 おソノさんは、試合が始まれば、「ほら、いっといで!」とチームメイトの尻を大きくやわらかい手で叩いて次々とピッチに送り出す。

 おソノさんは、得点を決めた選手が駆けよってきたら、笑顔で選手の頭をくしゃくしゃになでる。

 おソノさんは、選手がこけても、助け起こしに行くのを我慢して、自分の力で立ち上がるのをじっと見守っている。

 そして、PK戦などプレッシャーのかかる場面で、おソノさんのもとに集まってくる選手たち。もちろん、選手に発破をかけるのはおソノさんだ。

「ほら、ここがふんばりどころだよ。がんばってきな!」
「じゃあ、おソノさん。俺たちが勝ったら、俺たちの好きなアレつくってよ」
「アレ…ってなんだい?」
「やっぱり、おソノさんといえばシチューだよね!」

 おーい、山田くん、レッドカード持ってきて。

十五の夜を超えて

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

 しかし、最近の私はどうだ。キャベツの葉をニヤニヤしながらむいて「おいおい、そんなに固くなるなよ…」と言ってみたり、「なんだ濡れてるじゃねえか」とつぶやきながら床にこぼした味噌汁を拭いたりしている日々だ。これは本当にロックなのか。私はカリスマなのか。

 このままではいけないのはわかっているが、では、どうすればいいのか。盗んだバイクで走りだせばいいのか。だが、バイクを盗むのは犯罪だし、なにより、カリスマが二番煎じをするわけにはいかないだろう。

 そう、二番煎じはロックではない。そう、二番煎じはロックではない。ロックは既成概念を打ち壊す必要があるのだ。既存のロックを一歩踏み出してこそ、カリスマなのである。盗んだバイクで走りだしたりすることなど、今まで何万人もが通った道であり、今どきそんなことをしていたら、近所の人に「あらあら、きょうもロック? あんまり枠からはみだしちゃだめよ」などと言われてしまうだろう。くだらねえ大人たちの予想の範疇にいるうちはロックではないのだ。

 既存のロックを超えるために、あえて既存のロックにすら逆らってみるというのは、いいかもしれない。たとえば、「盗んだバイクで走りだす」の逆をついて、「何かを盗む」ではなく「何かを盗まれる」。「バイク」もやめて、いっそのこと「裸足」にする。行くあてがないのもロックにありがちだから、しっかりとした目的を持たせたほうがいいだろう。

 つまり、まとめると「お魚くわえたドラ猫を追いかけて裸足で駆けぬける」。

 ――す、すげえロックだ。こんな不器用な生き方しかできない俺をみんな笑うだろう。

 見な、おひさまも笑ってらあ。

6日遅れは気にすんな

「このサイト、10周年らしいね」

「ふうん、そうなんだ。近所にメキシコ料理店が開店したときと同じくらいうれしいね。それよりさ、俺の付き合ってる彼女が実はレズだったんだけど、なんか興奮しない?」

「いや、興奮するけどさ。せっかく10周年なんだし、もうちょっとつっこんで聞いてほしいな」

「なに? 10周年? あー、まだやってたんだね。つっても、別に思い入れもないし…。それよりさ、今年のエイプリルフールに俺がついた嘘のせいで友達の家庭が崩壊寸前になってるんだけど、その話聞きたくない?

「すげー聞きたいけど。とりあえず今は10周年の話を…」

「まあまあそんな話はいいじゃん。それより、俺のとっておきのギャグを言ってもいい?」

「いいけど…」

「『クリオネをクリオネ』」

「……」

「これはさ、『くれ』っていうのと『クリオネ』っていうのをかけたんだよ。つまり、『クリオネをください』っていうのを『クリオネをクリオネ』っていってるわけ。(ブフッ)」

「…なんで吹いてんの? 10周年の話を中断しておいて、なにそれ?」

「あれ、なんか怒ってる?」

「いま、頭の中で戦闘シーンのBGMが流れてるよ」

「そっかー。とっておきだったんだけどなー。ごめん、次はもっとおもしろいギャグを考えとくから」

「いや、そうじゃなくって。それより、今はもっと話題にするべきことがあるじゃん」

「はいはい、わかってるって。10周年でしょ? で、何が? 椎名林檎が?」

「お前、いまググっただろ。だから、このサイトが10周年だって」

「あのさー、俺らが10年前から登場してるようなキャラだったら、そうやって祝うのもわかるよ。だけどさ、俺らって、いま思いつきで書かれてるだけじゃん。なのに、なんで祝わなきゃならないわけ? この文章が終わったら、俺なんて二度と登場しないわけじゃん。それでお前は許せるの? 俺は絶対にそんなの許さねえからな」

「え、なんでキレてんの? あれ?」

「なーんちゃって、はいコレ(花束を差し出して) おめでとう!」

「え? え? なにこの急展開?」

「10周年だけに十分に執念を感じさせるようにお送りしました」

「ええー!?」

パーキングの狼

 「男の人のどんなところが好きですか」っていうたぐいのランキングで、よく上位に入っている「ハンドルを切り返して車をバックさせている姿」ってやつですけど、あれそんなにいいもんなんですかね。

 「重い荷物を軽々と運んでいるところ」とかは、なぜそれが好まれるのか分かるんです。このまえ引越ししたとき、フランケンってニックネームをつけたくなるような引越し屋さんが来てくれて、本がぎっしり詰まったダンボール二箱をひょいと左肩にかついで、空いている肩に何か乗せるものはないかと部屋を見渡すのをみたときは、さすがの私もキュンとなって「私でよかったら」って肩に担がれたくなりましたから。

 ほかにも、「仕事をしているところ」「紳士的な行動」「機械に詳しいところ」とかの定番は、なぜそれが好ましいのか分かりやすいんですが、そんななかで「車をバックさせている姿」って明らかに浮いている感じがします。なんか、それハードルが低すぎやしませんか。

 「車を持ち上げている姿」とかだったらわかりますよ。「振り落とされまいと車の屋根にしがみついている姿」とか「車にしかけられた爆弾を解体する姿」とか「ロボットに変形した車と戦う姿」とかがランクインしているんだったら納得しやすいんですが、「車をバックさせる」ってそんな難しいことじゃないでしょう。

 男にしてみても「俺のどんなところが好き?」なんて聞いてみて、「車をバックさせている姿」とか言われても、あまりうれしくないと思うんですよ。ええ、そんなところなの? そんなことでいいの? って。

 まあ、単純にしぐさとして好きってことなんでしょうけど、なんとなく、つねづね違和感を感じているので書いてみました。「シートごしに後ろを向いている姿がかっこいいの」とかいっている女性にいっておきますけど、私なんて車をバックさせるときどころか、人生いつだって後ろ向きですからね!

 えへん!

君の名は

 三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』を読んだ。主人公は多田さんと行天さん。作中で行天さんがチンピラにナイフで刺されるシーンがある。駆けつけた多田さんはそれを見て叫ぶ。

「行天ー!」

 思わず笑ってしまった。「(びっくり)仰天ー!」と叫んでいるみたいだから。そんな場合じゃないだろう。友人が刺されているのに、ちょっと昭和のテイストを交えながら驚いている場合か。

 でも、考えてみればこのように名字が違った意味にとられるようなことは現実に起こりうることだ。たとえば、病で倒れた友人を見舞ったとき。

「井上、しっかりしろ! 病気になんて負けるな!」
「食道ガンって言われたよ…。ところで食道といえば…?(ガクッ)」
「胃の上ー!」

 せっかくのシリアスなシーンが台無しだ。
 あるいは、フラれた友人をなぐさめているとき。

「小池、女なんて星の数ほどいるんだしさ」
「畜生! 胸毛がキモいとかそんな理由でフラれるなんて、やってらんねえよ!」
「濃い毛ー!」

 友人の気持ちをここまで逆なでして何が楽しいのか。
 飲み屋で女の子と話をしているときも注意が必要だ。

「黒田さん、それ以上セクハラ発言したらキレますよ」
「ウヘヘ、そういうなよ。今、何色のブラジャーしてるの?」
「黒だー!」

 女の子は怒りのあまり興奮。黒田さんも興奮。

 考えてみるに、つくづく名字は大切だ。簡単に変えられないだけに、名字によっては無用な苦労を一生背負わなくてはいけなくなってしまう。もし名字を選べるのであれば、自分の名字が叫ばれることを考慮して、自分にもっともふさわしい名字を選ぶ必要がある。私だったら飯野とかがいい。

私「すいません、とんでもないことをしでかしてしまって…」
上司「いいのー!」

ダジャレベル(笑)

 むかし読んだマンガで「発言内容のうち意味のある部分だけを抽出する機械」というものがでてきたことがあった。とある官僚の発言をその機械にかけてみると、「私は○○だと思いますが、△△という点も否定できないわけで…」と発言のなかで内容が打ち消しあい、結局、その人は言質をとられるようなことは何も言っていなかったとか。

 それとは少し話がずれるかもしれないが、発言というものには多少のオリジナリティが必要であって、誰でも言えるようなことなら何も言わないほうがましともいえる。かつてはオリジナリティの有無は話し手や聞き手の経験の範囲内でしか判断できなかったが、インターネットの普及にともない、キーワードを検索するだけでそれがどれぐらいオリジナリティがあるのかわかるようになった。前述の機械の機能が部分的にせよ実現できているわけだ。

 私の場合、ふと駄洒落を思いついたときなどに、それを検索してみたりする。その検索ヒット数を見て、その駄洒落が腐っているかどうかを判定するわけだが、では検索数が少ないほどオリジナリティがある優れた駄洒落であるかといえば、そんなこともない。そこで、ちょっと偉そうながら、私が検索ヒット数による駄洒落のレベル(略してダジャレベル(笑))の判定基準というものを考えてみた。

(※検索ヒット数は2008年5月21日現在、Googleにてフレーズ検索をした結果)

検索ヒット数:10,000~
レベル:ゲル
解説:一万年と二千年前から腐っています。その駄洒落を口にすることはセクハラまたは羞恥プレイの一部とみなされます。
・ そんなバナナ(そんなバカな) 176,000件
・ フラダンスの犬(フランダースの犬) 17,600件

検索ヒット数:1,000~10,000
レベル:部長
解説:大半の人が一度は聞いたことがあるレベルです。はやくまわりの愛想笑いに気づいて!
・ キャバクラ幕府(鎌倉幕府) 6,550件
・ 妹コントロール(リモートコントロール) 1,610件

検索ヒット数:100~1,000
レベル:ふつうです
解説:ちょっと新鮮な視点を感じつつ、老若男女に理解できる優れた駄洒落です。いいところを突いてきましたね。
・ マリファナ海溝(マリアナ海溝) 485件
・ 産婆カーニバル(サンバカーニバル) 332件

検索ヒット数:10~100
レベル:マニア向け
解説:正直、ちょっとキツイっす。まわりはどう反応していいのか分からないっす。思いついたことを何でも口にするのはやめてほしいっす。
・ パラライズ銀河(パラダイス銀河) 78件
・ のだめガンダーラ(のだめカンタービレ) 31件

検索ヒット数:0~10
レベル:もう二度と口にしません
解説:もう二度と口にしません
・ アヌスーピー(スヌーピー) 1件
・ 陰茎と快慶(運慶と快慶) 0件

部屋のドアに続く長く果てない道

 引越しの挨拶を成功させるコツは、「この人にぜひ隣に住んでほしい」と相手に思わせることである。

 では、どのような人物が「ぜひ隣に住んでほしい」ような人物であるのかといえば、たとえば私のような一人暮しの男が挨拶に行く場合、まずは犯罪などには縁が無い人間であることを相手にアピールしておくことが大切だ。

「盗聴とか、絶対しませんから」

 このひとことで、相手の警戒心はずいぶんと緩くなる。もし、現在、隣人関係がうまくいっておらず悩んでいる人がいれば、自分がこのひとことを忘れていなかったか思い出してほしい。

 また、警戒心を解くだけではなく、好感度をあげていくことも重要である。自分がいざというときに頼りになるということをアピールしておけば、できるだけ仲良くしておこうと相手が思うのは当然の心理だ。

「エイッ! あっ、うっかり得意のカラテをやっちゃった」

 これだけでは野蛮な人だと思われるかもしれないので、嫌味にならない程度にインテリジェンスをアピールすることも忘れてはいけない。

「アレ? カラテって、なんだかパキスタン最大の都市でシンド州の州都のカラチに似てるね。フフ」

 もう期待感がとまらない。なんとすばらしい青年が引っ越してきたものだと、相手はすぐにでもウェルカムパーティーを開きそうな勢いだ。もし隣の先住者が妙齢の女性だったりすれば、もしかして恋の予感?

 現在、隣人関係がうまくいっていないという人も、今からでも遅くない。すぐに、隣の部屋のドアを叩いて、こう言えばバッチリだ。

「今まで無愛想で、会って挨拶もせず、夜中に突然お経を唱えたりしてごめん。俺、本当は気さくで話しやすいタイプだから、仲良くしよう」

 さあ、これで私が教えられることは全部教えたぞ。次は、君が私に人付き合いの仕方を教えてくれる番だ。

100パーセントのヒーロー

 かつて、スパイダーマンは言った。

「ヒーローは孤独だ」

 私はヒーローじゃないが孤独だ。

 それはともかく、ヒーローとは、孤独であることにその本質がある。人を助けたら、名も告げずに立ち去るのがヒーローの流儀であって、助けるたびに「ねえ、俺のおかげで助かったよね? ね?」というようなヒーローは鬱陶しい。

 また、孤独であることには、利点も多い。ヒーローであることが周囲に知られてしまったら、普段から悪の組織に命を狙われたり、つまらないことで「お前、ヒーローなんだろ」と用事を言い付けられたり、「ヒーローさん」などというあだ名で呼ばれたりしかねない。

 つまり、ヒーローと孤独は決して切り離せないものであり、ヒーローを志すならば覚悟をしておくことだ。ヒーローを極めたヒーローともなれば、その孤独は想像を絶する。

・助けにいったら、露骨に嫌な顔をされた。
・悪人にも無視された。
・声をかけづらくて、そのまま帰った。

 もちろん、ヒーローが孤独に悩まないわけではない。ヒーローをやめたくなるときもある。だが、正義の味方としての使命感が、彼を突き動かす。やがて、ヒーローは苦悩を乗り越え、更なる高みを目指す。…それは、究極の孤独。

 ――すなわち、人類の滅亡。

デトロイト・メタル・ショウテン

 パンクにとって我慢ならないのが笑点の大喜利である。見ているだけで体がふやけてきそうなあの空間で、体制に組み込まれた薄汚い豚どもに対するやり場のない怒りをどうやってぶつけろというのだ。

 そもそも、座布団の枚数が増える程度の報酬で、人が真剣になれるとでも思っているのだろうか。いつから人間はそこまで達観したのか。かのマザー・テレサは言った。「人を恐怖と欲望によって支配することはできるが、座布団では無理」と。嘘だが。

 笑点は、もっと殺伐としていなければ、パンクと呼ばれるに値しない。そこで、提案する。舞台では、座布団の代わりに表面がギザギザになった石の台の上に回答者を正座させよう。そして、つまらない回答を言ったときは、正座した脚の上に重し(通称、挫負頓)を載せることにしよう。

「おおい、山田くん。挫負頓一枚やっとくれ」

 歌丸がそう呼びかけると、身長2m10cmの山田隆夫が重さ25kgの挫負頓を片手でぶらぶらさせながら、不気味な笑みを浮かべて舞台袖から登場する。

「はい、かしこまりました…」

 山田隆夫はくぐもった声で返事をし、回答者の脚の上に挫負頓を載せ、ついでにぐっと体重をかける。「……!」。声にならない悲鳴を上げる回答者を見て、山田隆夫は瞳の奥に捩れた愉悦を浮かべる。

 客席は、ただ息をのみ、大量の汗をたらしながら耐える回答者を見つめている。回答者の荒い息遣いを除き、会場は静まりかえっている。そんな中、歌丸が次のお題を告げる。

「さて、次のお題です。リストラされたばかりのサラリーマンが、連続強姦魔の冤罪をかけられ取調べ中に、思わず笑ってしまった一言とは? さあ、お答えください。ただし、ピカチュウ語で」

 鬼のようなお題を出す歌丸。絶望的な顔を浮かべる回答者たち。固唾を飲む観客。十数秒ほど沈黙が流れる。このまま回答が出なければ、全員に1枚づつ挫負頓が載せられてしまう(そういうルールだ)。やがて、歌丸が残酷な笑みを浮かべつつ時間切れを告げようとしたとき、突然、会場の背後の扉が開いた。

「ちゃらーん、こん平でーす」

 こん平の登場に、凍り付いていた会場の空気が動き出す。一瞬、不意をつかれて目を見開いていた歌丸は、すぐに気をとりなおして突然の闖入者に怒声を浴びせようする。しかし、こん平はそれで鋭い目で制し、おごそかに告げた。

「みんな仲良くしよう」

 それで、みんな納得して輪になってマイムマイムを踊りました。おわり。

痛いの痛いの飛んでけ大空に

 とある病気にかかったのだが、それが激しく神経を刺激するので、痛みに弱い私は悶絶している。その様子を見た人が「そんなに痛いの?」と聞いてくるのだが、「痛み」とは、伝えるのがいかに困難なものであるかを実感した。

 思うに、痛みとは、それを経験していない人間には伝えることが不可能なものなのだ。ありきたりなたとえ話で「タンスの角に足指を――」とか「ツメの裏側に針を――」などといってみたり、あるいは、昔のジョークであったように「1cmの鼻毛を1Nの力で引き抜いたときの痛みを1hanageとして――」と痛みの定量化を試みたところで、決して伝わることはない。なぜなら、しょせん他人事だから、わざわざそれを想像してみたりはしないのだ。では、いかにすれば痛みを伝えることができるのか考えてみると、痛みとは「いかに痛くないか」を伝えることによってのみ、伝えることができるのだと思う。

 つまりは、こういうことだ。

「痛むの…?」
「ツッ…たいしたことは無い」

 ここで目を伏せ、グッと唇をかみ締め、身体を震わせながら言うことで、相手に「うわあ、痛そう」と思わせることができるのだ。自分が大丈夫であることを伝えることで、相手の主体的な想像力がはたらき、いかに痛いかを考えさせることができるのである。

 したがって、「どれくらい痛いのか」を伝えるために、あまり痛そうな様子を前面に出してはいけない。もっとも、本当に「痛くなさそうだな」と思われてしまっては元も子もないので、「痛みなどないように自然にふるまいつつ痛そうにする」という、やや複雑な表現力が必要となる。

・ 「ウヒョー! あの娘、ブラの線が透けて見えるぞ」と涙目で叫ぶ
・ 「フロントホック? フロントホック?」と二回尋ねながら、全身を痙攣させる
・ 「オレ、このまえ、はじめてブラの試着に行ったんだけどさあ」と世間話をしながら、のたうちまわる

 「どうだろう?」と訪れた友人に問うたところ、友人は少し考えたあと、「うん、あなたの痛さが伝わってくる」

花咲く乙女たち

 冬季五輪の女子カーリングを見た多くの人が、もし自分がチームを編成するならと、理想のカルテットについて思案をめぐらせたことだろう。

 まず、欠かせないのがチームリーダーであろう。強い精神力と信念を持ち、その姿を見ただけでチームメイトは絶対負けないような気持ちになれる存在である。チームを引っ張る情熱的な言動が目立つのが特徴だ(「あたしのショットは曲げられても、魂までは曲げられないのよ!」)。

 そして、リーダーのよき補佐役が、知性派の眼鏡である。氷上のチェスと呼ばれる(らしいが、私は先日はじめて聞いた)カーリングにおいて、ともすれば熱くなりすぎるリーダーを抑え、冷静な判断で試合をコントロールする役割を負っている。

 アクセントとしては、やはりムードメーカーであるお調子者の存在が必要だろう。チームの敗色が濃厚になっても、その笑顔でチームを鼓舞し、勇気付けることを忘れない。その明るい笑顔の陰に、ちょっぴりトラウマな過去があったりするのだが、だからこそ、決してつらい顔を見せたりはしない。

 4人目は、議論のあるところだが、ここはお色気担当を入れておきたい。できれば天然ボケの要素を持っていることが望ましいだろう。ストーンを滑らせようとして転んでしまい、自分が滑っていったりする。無論、ユニフォームは一人だけミニスカートだ。誰もが「どうしてこんなやつが代表に選ばれたのだ」と思うのだが、彼女が逆転の必殺技ローリング・セクシー・コリオリ・スパークを炸裂させたとき、観客は沈黙する。

 かくして、リーダー、眼鏡、お調子者、お色気の4人で結成された理想のチームは、最高のチームワークで世界の頂点を目指して突き進むのである。だが、簡単に勝ち進めるほど勝負の世界は甘くは無い。彼女たちの前に、彼女らの弱点を調べつくして結成された最強のライバルチームが立ちはだかる。

 まず、リーダーに対抗すべく選ばれたのが「卑屈」である。情熱的なリーダーにとって、まるで信念など無いかのように無用に自分を貶めて薄笑いを浮かべている奴を見ることは耐え難いことなのだ。リーダーがにらみつけると、顔色をうかがうように下から見上げてくる「卑屈」を相手に、リーダーは本来の力を発揮できない。

 眼鏡に対抗するのは、「孤高」である。秀才タイプの眼鏡は、テストの五科目合計ではいつもトップの座を保持している。だが、テストなんてまるで知らぬかのように独特の雰囲気を醸し出しながら校庭を眺めている「孤高」には、微妙なコンプレックスを抱いているのである。負けたくない。そんな対抗意識が眼鏡の歯車を狂わせ、いつものように冷静な判断ができず、ペースを乱してしまう。

 そして、お調子者の相手が「ゲラ」だ。こいつは、お調子者がちょっとおどけてみせただけで、突然横から顔を出して手を叩きながら笑い出す。しかも「こいつ、何がおもしろいかわかってないくせに、とりあえず雰囲気を良くするつもりで笑ってんだろうな」と思わせる笑いなのだ。こいつの笑い声を聞くと、かえって不愉快になる。かくして、チームメイトの笑顔は凍りつき、次第に気まずい雰囲気になっていくのだ。

 最後に、ある意味では敵にまわすと最もやっかいなタイプと恐れられるお色気に対抗すべく送り込まれたのが「仔犬」だ。お色気は、試合中も仔犬のことが気になって仕方が無い。チラチラと見てしまう。ましてや、ストーンのコース上に仔犬が迷い込んだりしたら、「だめっ」と自ら投げたストーンを抱え込んでしまう。

 かくして、最強のライバル「卑屈」「孤高」「ゲラ」「仔犬」を相手に、主役チームは死闘を繰り広げることになる。お互いに持てる力を出し尽くし、一進一退の勝負のすえ、主役チームは勝利を得る。だが、そのために払った代償は小さなものではなかった。チームメイトの危機を身を投げ出して救ったお調子者のことを、彼女たちは決して忘れることはできないだろう。残されたチームメイトは、唇を噛み締めて涙をこらえていた。リーダーが空を見上げると、そこにはお調子者の笑顔がみえた。そして、いつものように「スマイルだぞっ」といっているような気がした。

 そんな彼女たちが、青森地区予選2回戦で敗退することを誰が想像しただろうか。

泣かないで

 誰しも「一度は言ってみたいセリフ」があるが、役者でもないかぎり、そんなセリフをいう機会には恵まれない。だが、それでよいはずがない。いいたいセリフひとついえないようでは、ブラジャーをはずし忘れたまま外出したときのように、なにか胸にひっかかりを感じながら日々を過ごすことになる。余計なストレスを感じないためにも、セリフを口にする機会は逃さずにいたいものだ。

 たとえば、一度は言ってみたいセリフとして、こんなものがある。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 想定される状況としては、自分より強い相手に立ち向かうようなときであろうか。だが、いざ日常でこのセリフをいおうとしても、いう機会に恵まれない。それはそうだ。このセリフをいうには、まず自分が「好きにされる」必要があるが、そんな支配欲に満ちた知人はなかなか見つからないのである。

 ではどうすればよいのか。ここで代替案として提案したいのがコタツである。あの、心も身体も思うがままに蹂躙する悪魔の装置。おシャレな雑誌のような生活に憧れる田舎の女子中学生の夢を打ち砕く存在。そいつにいってやるのだ。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 そうして、コタツから颯爽と立ち上がる。強い意志を浮かべた眼でコタツをにらみつける。そのまぶしい姿は、思わず皆が目をそらすほどだ。

 他に、こんなセリフも言ってみたい。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 おそらく、状況は敵の幹部にもう少しでたどりつきそうなとき。我々には果たさねばならない任務がある。こんなところで足止めをくらうわけにはいかない。そう、ここで誰かが犠牲になる必要があるのだ。そこで上記のセリフを言い放つのである。「しかし…」とためらう仲間に向かって、「きっと、また会おうぜ」とかいいながら、敵の渦中に飛び込んでいくのだ。そんなかっこいいセリフをいってみたい。

 だが、それには何が必要か考えるのが面倒なくらいの準備が必要であり、そもそも、どうして私がそんな危険なシチュエーションに会わなければならないのか。そういうわけで、もっと手軽にいえるシチュエーションはないかと考えてみるに、こんなセリフをいってもおかしくないのは、屁だ。

 それも、ただの屁ではない。大を我慢しているときの屁だ。とてもおなかが痛くて、もう少しで漏れそうだけど、たぶん、いま出口にいるのは屁。慎重にコントロールすれば、大を出さずに屁だけを出して、少しおなかが楽になる。だが、これは賭けだ。括約筋を緩めすぎると、屁だけではなく、混沌が生まれる。まさに生と死の狭間。私は全神経を括約筋に集中させ、言い放つ。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 そうして、見事に気体のみを出すことに成功する。この達成感。自らが閉じ込められたままであることを知っていても、それでも友を脱出させるためなら、どんな危地をも厭わない。これが人間の証というものか。

 見事、友の脱出に成功させた私は下腹に意識を集中させる。成功した以上、ただ犬死するわけにはいかない。きっと安全圏で脱出しようと、私はトイレの個室に急ぐ。だが、友は去り、敵の攻撃は苛烈である。無事、脱出できるのか。

 あと数歩のところで、どこからともなく声が聞こえてくる。

「約束どおり、戻って来たぜ…」

 煙が目にしみただけだ。

ほのか

 洗濯物を干し忘れて、数日ほど洗濯機に放置していたら、なにやら変なニオイを発している。干せば消えるだろうと思って干してみたが、やはりニオイは残っている。仕方がないので洗いなおすことにしたが、洗う前にあらためてよく嗅いでみると、変なニオイには違いないのだが、どこか懐かしさを感じるニオイである。タオルなどで顔を覆ってスンスンと臭いを嗅いでいると、やけに安らいだ気持ちになる。さて、このニオイは何のニオイだったかと考えているうちに、はたと思い当たった。

「これは雑巾のニオイですか?」
(Is this a smell of the dustcloth?)
「はい、これは雑巾のニオイです」
(Yes, this is a smell of the dustcloth.)

 雑巾のニオイに郷愁を感じている自分に気付き、暗澹たる気持ちになった。すると、私の故郷はバケツか。

 街、家、人にはそれぞれ特有のニオイがある。友人の家にいくと友人の家のニオイがしていたし、嗅ぎなれたニオイで自分の街に帰ってきたことを実感したりもする。こればかりは真似することができない。たとえば友人とニセ友人がいたとして、外見や質感はそっくりだとしても、ニオイだけはどこか違う。本物のほうが、靴下がちょっとクサイとか、必ずそういう違いがあると思う。

 それだけに、ニオイは他人との相性を探る上で重要である。どこかニオイにしっくりこないものがあると、それだけで友情や愛情の障壁となる。嗅覚など、五感のなかで最もとらえどころのないものなのに、しっかり人間の原始的な部分と結びついているようだ。

 返して言えば、ニオイさえしっくりとくるのなら、他の部分は、たいした問題じゃない。たとえ見た目や声や味やさわり心地に難があろうとも、その人のニオイが自分にぴたりとはまれば、その人とは一生の友人か、あるいは一生の恋人かになれるかもしれない。さしずめ、私の一生の恋人は雑巾の香りがする人だろう。

 どうか、一生、出会いませんよう。

グッドモーニング

 いつもさわやかな私だが、寝起きは機嫌が悪い。もし、「世界寝起きが悪い選手権」があれば、寝起きだったら出場すらしないだろう。

 寝起きは悪いよりも良いほうがよい。できることなら、私も起きた瞬間から好青年でありたいと思っている。朝、窓を開けて「おはよう、小鳥さん」と快活に微笑み、「行くぞ! ジョン」と飼い犬とともにジョギングに駆け出すような青年になりたいものだと思う。ところが実際はといえば、起きると「おはよう、小人さん」と幻覚に悩まされ、「行くぞ! ジョン」と犬のようにいたぶられる毎日なのだ。

 なぜ寝起きというものは、人によって良かったり悪かったりするのか。もしかしたら、寝起きが悪いというのは、目覚めると良くないことが起こることを本能が察知して起こる現象なのかもしれない。もし、いつでも快晴で、角を曲がるたびに私に恋心を抱いている少女がぶつかってきて、街を歩けば青い鳥が肩にのっかってくるような毎日を送っているのであれば、とても寝起きが悪くなるとは考えられない。毎日が楽しくて、もちろん快活に起きることができるだろう。

 もっとも、寝起きが悪いからといって、私の日常にそれほど悪いことが起こっているのかといえば、そういうわけでもないような気もする。確かに上述したようなことはないが、まんざら悪いことばかりというわけでもない。とすると、ひょっとして「私は寝起きが悪い」という認識のほうが間違っていたのだろうか。自分の寝起きは悪いと思っていたけれど、本当はそれほどでもないのだろうか。実は、(薄々気付いていたことだが)朝からさわやかな好青年なのだろうか。

 さて、どちらだろう。私は毎日が幸せだけど朝は非さわやかなのか、たいして幸せなことはないけれど朝からさわやかなのか。こういうことは自分ではわかりにくいもので、他人に聞いてみた。

「いつでもさわやかじゃないよ」

 そうか!

エレメンタル放送

07:00 【N】今日の出来事
 専属占星術師が予言する今日の出来事。
 今日も朝から嫌な気分にさせてくれる予言が満載!

08:00 モーニング朝!
 仔犬特集。今回もかわいいワンちゃんが勢ぞろい。真顔で嘘をつくワンちゃん。プライドが邪魔をして素直に甘えることができないワンちゃん。どうせ手に入らないのならいっそ何もかも壊してしまいたいと考えているワンちゃんなど。

09:00 三時間クッキング
 本日のメニュー「肉塊」

12:00 笑っている場合じゃないとも!
 アイロンの切り忘れでマンションが全焼しました。
 笑っている場合じゃないとも!

13:00 クイズ アタッカー25
 史上最強のグランドチャンピオンが人類の誇りを賭けてチンパンジーに挑む。はたして勝負の行方は!?

14:00 【新】トレビアンの泉
 思わず「ふーん…、それで?」と言ってしまう雑学・豆知識を一挙大公開。▽熱いお風呂に入るときは、水でうめると熱くないよ▽おいしいものはつい食べ過ぎちゃうけど、食べ過ぎると太っちゃうぞ▽スティックのりはリップスティックと似ているけど間違えちゃダメ、など

15:00 【ドラマ】【再】窓際刑事
 都内で次々に起こる殺人事件。そして、ゼロを名乗る殺人鬼からの予告状が湾岸署に送られてきた。湾岸署員は総動員体制で次なるゼロの犯罪を防ごうとする。だが、そんな事件が起こっていることすら知らせてもらえない窓際刑事山下さんの日曜ゴルフコンペの様子をお楽しみください。

16:00 えっ、オレだけの水泳大会!?
 大好評の「オレだけ!?」シリーズ。前回の「オレだけの入学式」「オレだけの新歓コンパ」にひきつづき、オレだけの水泳大会に挑む! オレだけしか見てません!

17:00 【アニメ】ドラえもん

17:30 【アニメ】スネ夫

18:00 【スポーツ】野球中継 阪神×巨人
 同時中継:はじめてのおつかい

20:00 【映画】マトリックスはつらいよ
 前作から一年。救世主ネオの隠された性癖とは!? 100人家族スミス一家の食卓を興味本位で公開! トリニティーののんびり温泉ツアーと、それを必死で覗こうとするモーフィアス! ディレクターズカットとモザイクを加えた完全版で地上波初登場!

22:00 【ドラマ】【通販】TVショッピング・ラブ・ストーリー
 第十二話「こんなラックが欲しかった」

23:00 【N】プロ卓球ニュース

00:10 【スポーツ】サッカー中継 日本代表×香川代表
 中継:サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアム

02:00 今日の放送事故
 関係者全員総土下座。はたして、この放送局は明日まで存続するのか。
 いよいよ目が離せない!?

そっと目を閉じて

 先日、視力検査を受けた。受けるたびに思うのだが、あれはどれくらい本気になっていいのだろう。マークが見えそうで見えないとき、素直に「見えない」というべきなのか、パンチラ・アイを使ってもいいものなのか。どれほど手加減すべきかわからず、余計なところで気をつかわされる。

 思うに、上のような迷いが生じるのは、視力検査が単純に「高ければよい」というものではないからだろう。視力検査は視力を測るためにあり、それを競うものではない。実際、視力が高ければよいことばかりかといえば、たとえば鏡を見るときなどは視力が低いおかげで人生に絶望せずにすむ。

 もっとも、視力は人間の基本的な身体能力のひとつであるのに、それを競わないのは不自然なことかもしれない。どれだけ速く走れるか、どれだけ重いものを持ち上げられるかなどを競う競技があるのだから、どれだけ遠くのものを見ることができるのかを競ってもよさそうなものだが、実際は、せいぜいとなりの席の人と「視力どれぐらいあった?」などといいあうくらいで、プロが実力を発揮する機会はない。

 もし、視力検査の世界大会などがあれば、おそらくは視力10.0くらいのすごい人たちが競いあうことになるだろう。視力検査表を百メートルほど離れた場所に置き、無線で連絡を取り合いながら「はい、これは?」「右です」などと答えあうのだ。地味な大会である。

 いや、世界大会というくらいだから、そんな牧歌的なものではすまないかもしれない。凄腕のスナイパーや、チベットの修行僧や、サバンナの狩猟民族など、世界の視力自慢が参加して、常人にはなしえない技を繰り出すことになるかもしれない。ある者は、カメレオンのように眼筋を自在にコントロールする。ある者は、びっくりすると目が数メートル飛び出す。果ては、目からビーム光線をだしたりするようになるかもしれない。

 だが、それらの強敵すらも凌駕するすごい男がやってくる。そいつは、検査表を見ることすらしない。用いるのは心眼である。たとえ何キロ離れていようと、どれほど小さいマークであろうと、精神集中すればぴたりと当ててしまうのだという。もはや彼にとって、こんな大会は目じゃない。

愛が目覚める朝

 目覚し時計は、我々の起床すべき時間を忠実に知らせてくれる。だが、一方で、我々の安眠をとだえさせてしまうともいえる。はたして、彼は我々の味方なのだろうか、敵なのだろうか。多くの人は、こんな目覚ましにどう接すればよいのかわからず、悩んでいる。我々は、彼にやさしく接するべきなのか、つめたくあたるべきなのか、ちょっぴり甘えてみるべきなのか、どうすればいいのだろうか。

 私はといえば、あまり目覚ましに寛容とはいえない。そもそも、私はあまり寝起きがよいほうではない。起きてから十八時間ほどはぼんやりとしているし、起きた直後はなおさらだ。目覚ましが鳴ると一応目を覚ますものの、ひどく不機嫌である。目覚ましの役割を考えれば、「今日も起こしてくれてありがとう」ぐらいいってもばちはあたらないだろうが、思わず「うるさい!」と彼の頭を叩いてしまう。逆恨みもいいところだ。

 しかし、目覚ましにも非難すべき点がないわけではない。目覚まし時計の発想は、大音量や不快音によって我々を現実世界へ呼び起こそうというものである。なかには、空気圧や電流の刺激で目を覚まさせようとするものまである。このような考えかたでは、逆恨みされて当然だろう。力ずくで人の心は動かせないのだと、非力な私は思う。

 したがって、目覚ましはそのアプローチの方法を変えるべきであろう。目覚ましが正当に評価されるためには、「目覚ましに起こされた」と思わせないよう、工夫が必要である。たとえば、音量を極端に弱くして、せつなくなるような仔犬の鳴き声などを用いてみてはどうか。

 時間になると、目覚ましから弱った仔犬の声がかすかに聞こえてくる。

「くぅん、くぅん…」

 今にも消えてしまいそうな鳴き声である。夢うつつにそれを聞き、始めは無視しようとするが、どうにもおちつかない。がまんしきれず、ふとんからはいだす。目覚ましを見ると、カタカタと針がふるえている。思わず、目覚ましをはげます。がんばれ、目覚ましくん。病気なんかに負けるんじゃない。もっといっしょに過ごそう。神様、こいつの命を助けてくれるんだったら、なんだってします。どうか、助けてやってください。

 だが、必死の祈りもむなしく、次第に弱まっていく音量。そして、最後に弱々しくひとなきし、目覚まし時計はその活動を止める。涙をこぼしながら、思わず叫ぶ。

「目覚ましくん! 死ぬんじゃない、目を覚ましてくれっ!」

 お前がはやく目を覚ませ。

みんなの気持ちはうれしい

 子ども向けのアニメを見ていたら、番組の最後にプレゼントの告知があった。はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を書くよう指示されていたのだが、子ども向けなので画面に出るのはすべてひらがなだ。

  ・ じゅうしょ
  ・ しめい
  ・ ねんれい
  ・ でんわばんごう

 それを見て、少し違和感を感じた。

「使命?」

 少し考えれば、「しめい」が「氏名」であって「使命」ではないことはすぐわかることなのだけれど、子ども向けアニメなどを見ていると脳が退行して、そんなことにすら頭がまわらなくなる。それどころか「この設問で現代の子どもの意識調査をするのだろうか」「番組が子どもたちに与える影響を知りたいのだろうか」などと、設問の裏を読み取ろうとする始末だ。そんなことに頭をつかっている余裕があるのなら、半開きになっている口を閉じたほうがいい。

 ところで、考えすぎかもしれないが、はたしてふつうの子どもに「しめい」が「氏名」であり「使命」ではないと気付くことができるのだろうか。私が気付くことができたのは、私が「ひょっとしたら小学生を超えるかもしれない」と評されるほど優れた頭脳の持ち主だからこそである。私より知能が劣っていると考えられる子どもは、全国に三十人はくだらないはずだ。おそらくこの番組には、そのような子どもたちから、勘違いしたはがきが次々と届いているに違いないのである。

  ・ わたしは世界中をお花でいっぱいにしたいです。
  ・ ぼくの使命はバルタンせいじんをたおす!
  ・ あの、ユミさんでお願いします。

 ひとり「しめい」を「指名」と勘違いしているやつがいるのはともかく、こんなふうに全国から使命感に燃える子どもからのはがきが届くのである。考えただけでもわくわくするではないか。番組をつくっている人は、それらのはがきを読んで勇気づけられたり、感動したりすることだろう。そして、最も崇高なる「使命」の持ち主にプレゼントを送るのだ――といいたいところだが、残念ながら「氏名」が書かれていないので送れません。

想い出のほかに何が残るというのか

 卒業式で泣く人と泣かない人がいる。もちろん、私は泣く人だ。「卒業したら、みんなバラバラになっちゃうのかな…」。そんなふうに、猟奇殺人にまきこまれる同級生の姿を想像して、思わず涙をこぼす。

 一方で、卒業式に泣かない人もいる。もちろん、人にはそれぞれの感じかたがあり、泣きたくもないのに泣かなければならない理由はない。ただ、それが単に性格上の問題ならよいが、本当は泣きたいのに卒業式があまりに陳腐で泣けないのだとしたら、卒業式運営者には猛省をうながしたい。もっと工夫をこらせば、どんなに冷めた卒業生であろうとも涙をあふれさせずにいられなくなるのだ。

「来賓のウミガメが産卵」

 これは効くだろう。卒業生たちは手を握り締めて、親亀に声援をおくるに違いない。そして、親亀の流す涙につられて、思わず目をうるませるのである。無事に出産を終え海へと帰るウミガメにみんなで手をふって見送る感動のシーンもよい。問題があるとすれば、来賓がウミガメということだけだ。

「我が子をかばうため、必死で来賓の目をそらそうとする親鳥」

 我が子を思う親鳥の気持ちを考え、思わず心をうたれるシーンである。この卒業式を撮影するだけで、ドキュメンタリー番組が一本とれるほどだ。問題があるとすれば、来賓が小鳥を襲うことぐらいだ。

「生き別れの校長と初めて対面する卒業生たち」

 どよめく体育館。入学式のとき「強く生きろ…!」のことばとともに姿を消した校長との再会。卒業生たちは知らないが、実は校長は、卒業生たちの実の弟だという秘められた過去が…! どんな学校だ。

「催涙ガスを投擲して、機動隊が体育館に突入」

 卒業生をテロリストあつかい。でも、どんな生徒でも泣く。留置所で家族と対面して、また泣く。一粒で二度おいしいお得なコース。

 かように、卒業生たちを泣かせる演出にはことかかない。これらを複合することで、どんな卒業生でも涙をあふれさせて学校を卒業することだろう。ただし、嬉し涙だ。