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人生に必要な知恵は
2008.04.10

 知人(仮にA氏とする)に頼まれてあまりよく知らない人(仮にB氏とする)に会ったりするときのことだ。用事をすませて帰り際になると、必ずといっていいほどいわれることばがある。

「Aさんによろしくお伝えください」

 それを聞くと、私はいつも困惑する。その伝言をどのように扱うのが大人として正しいのか、いまだにわからないのだ。

 この場合、伝えられたことをそのままA氏に伝えなおすというのがもっとも簡単な方法だろう。

「Bさんが、Aさんによろしくとおっしゃってましたよ」

 だが、果たしてそれはわざわざ伝えなければならないようなことなのか? 「よろしくお伝え下さい」が単なる定型句にすぎないのはわかりきったことだ。もし、本当に「よろしく」と伝えたいのなら、わざわざ私を介さずに直接いうだろうに。

 なにかもっと重要な伝言であれば、私もはりきってA氏に伝えることができる。

「Bさんが、Aさんのこと好きだっておっしゃってましたよ」

 それだったら、私も喜んで恋のキューピッドになろうという気になる。なんだったら、お互いのアリバイづくりのための協力などをしてもいいし、ちょっと腕まくりしたりもする。だが、そうではないのだ。

 そこで、第二の選択肢として「何も伝えない」が浮上してくる。たいていの場合はそれを選択することになるのだが、どうも私としては気持ち悪いのである。「お伝えください」といわれて、それが何の意味も無い定型句であることはわかっているけれど、それでも私がB氏に無断でその依頼を無視していいということにはならない。ひょっとして、何の意味もないというのは私の思い込みで、「よろしく」にはA氏とB氏のあいだで取り交わされた暗号が隠されている可能性だってある。

よ…夜になったら
ろ…ロリータファッションの娘が
し…尻のビンカンな部分を
く…くすぐっちゃうぞ

 だとしたら、私が伝言を無視することで、AさんとBさんのひそやかな楽しみを奪うことになるのかもしれないし、それが原因でAさんとBさんが仲たがいするはめになるかもしれないし、できれば私も混ぜてほしい。

 そういうわけで、私はこの些細な伝言を伝えるか伝えないか、ひどく葛藤することになるのだ。いった側は軽い気持ちなのかもしれないが、いわれた側の心には重くのしかかり、それがいじめや不登校につながるのだということを私たちは忘れてはいけない。

 あるいは、私が未熟なだけで、ちゃんとした大人はこのような伝言をどのように扱えばいいのか心得ているのかもしれない。ときおり、駅のトイレや人通りの少ない路地の壁で見かける「夜露死苦」の文字。ひょっとして、あれに何かヒントが隠されているのでは…?




ある邪念に花束を
2008.04.05

 「私のお墓の前で泣かないでください」なんて詩がありますが、自分が死んだとしても、やはり自分のお墓の前では泣いてほしくないと思います。泣かれたりすると、いや自分そんなたいした人間じゃなくて、ただ死んじゃっただけなんで、と恐縮しそうだから。

 でも、お墓の中から泣かないでといってあげることもかなわないので、せめて、墓碑銘とかで相手を笑顔にすることができないかな、と思います。日本ではあまり凝った墓碑銘を刻む習慣がないみたいですが、西洋ではちょっと気の利いた文をお墓に刻んで、訪れた人の悲しみをフッと紛らせたりしますよね。有名なものでは、アル・カポネの「神よ、あわれみ給え」とか、カレン・カーペンターの「地上の星 天国の星」とか。 たとえ名声を得た人でなくても、「ここに○○眠る。彼は生涯を漁師として生き、ここに永遠に錨を下ろした」とかありそうです。ちょっとうまいことをいうってのが肝心だと思います。あまりうまくないですか。そうですか。

 私が死んだときは、お墓に「あたり」とか書いてもらいたいです。子どものころ、家で大事に飼ってた金魚とかが死んだときはアイスのあたり棒でお墓をつくったものです。クラスで飼ってた金魚は、使用済みの割り箸だったのに。これだと、なんだか大事にされてる気がしますし、微笑ましくていいんじゃないかなと思います。それに、もしかして神さまが「もう一本」といって、復活できるかもしれないですし。

 でも、考えてみれば墓碑銘ってのは自分で考えるものじゃないのかもしれません。残された人が死者を忍ぶためのものですから、残された人が最適な墓碑銘を考えるほうがいいわけです。「○○ここに眠る。よき妻だった」とかね。だとすると、生きているときに変な印象が残っていたりしたら、変な銘を刻まれるんじゃないかと心配になります。「綾倉ここに眠る。家ではノーブラ派だった」とか。なんだか、ちょっと死に切れないような気がします。

 つまりは、生きかたを改めなければ、「いい墓碑銘」なんて刻んでもらえないんでしょうね。こんなふうに、役に立たないうえにイメージアップにつながりそうもない文章を書いたせいで、「いい墓碑銘」からまた一歩とおざかったような気がします。

 おかげで、墓穴は掘れましたけど。




夏のおしまい
2007.11.23

 もはやそれしか考えられないほど、最後は線香花火である。線香花火の終盤に、こよりの先でふるふると震えながら、それでもなんとか落ちまいとしがみつく玉を見てわきあがる「こいつを守ってやりたい」という強烈な気持ち。「楽しかったよ」なんてことばは聞きたくない。ただ、ずっといっしょにいてほしい。最後の力で弱く輝く玉を悲痛な思いで見つめながら、思わず、私は叫んでいる。

「好きだったんだ、おまえのことが、ずっと…!」

 だが、玉は最期に微笑むように明るさを増し、そして、無情にも地面に落ちる。襲いくる絶望感。目に涙を浮かべ、救いを求めるように周囲をみわたすが、ともに花火をしていた友人たちはただ目をそらしてしまう。ああ、我は孤独なり。その理由もわかってる。

Ψ

 そういうわけで、やはり最後は線香花火がよい。前述のごとく、夏の終わりにふさわしい盛り上がりを演出できるのが、線香花火なのである。もし、これが線香花火ではなく一字違いで健康花火だったりしたらどうか。健康花火がどんな花火か知らないが、静かに余韻にひたれるような花火でないことは確かだ。きっと、花火に火をつけると、どこからともなくハイテンションな音楽が流れてくるのだろう。

  すこやか〜♪
  みんな仲良し さあ、輪になって花火だニャン
  アッ でもお前、変なニオイするからあっち行って
  ウソウソ ごめん☆ ホラ いっしょに踊ろ?
  えっ、誰と話してるかって? これ、全部、腹話術だよ
  アハハハ、青春、勇み足〜♪

 音楽は花火が消えるまで鳴り止まず、ただはやく終わってくれることを祈るばかり。こんな花火では、余韻もへったくれもあろうはずがない。

 しかしながら、静かならそれでよいわけではない。たとえば、最後が線香花火ではなく、単なる線香だったらどうか。華やかな花火は終わり、静かに線香に火をともし、さて、どうしたらいいのか。やはり、静かに合掌して祈るのか。確かにしみじみとした気持ちにはなるかもしれないが、どうも腑に落ちない感じだ。花火全体が何かの儀式のような雰囲気になってしまう。いったい私は花火で誰を呪おうとしているのか。

Ψ

 そういうわけで、やはり最後は線香花火がよい。線香花火はにぎやかすぎず、おとなしすぎず、「ちょうどよい」のである。この最高のムードメーカーがあれば、どんなロマンチックなシチュエーションも思いのままだ。たとえば、夜の公園で恋人とふたりきりの花火。浴衣を着た彼女が最後に残った線香花火をつける。こよりの先で不安定にふるえる玉を見つめながら、そっと彼女がささやく。

「ね、むかし少女マンガで読んだセリフ――いってもいい?」
「え?」
「主人公の女の子がね、こういうの――。『どうか、線香花火のしずくが落ちないくらいに、やさしいキスをしてください』って」
「……」

 そして、重なりあう唇。玉はかすかなふるえを感じて地面に落ちるが、目を閉じた二人はそれに気がつかない。ただ、静寂が二人を包む。

 そんな二人を横目で見て、「やっとるのお」とつぶやきながら、ゴミ箱あさりを再開する私。




上の文章はNIKKI SONIC '05に合わせて書かれたものです。
 


君のメロディーや哲学や言葉を

2007.08.23


 こんにちは、『とっさのひとこと、日本語会話』の時間です。今日は「うっかりおならをしてしまったときのとっさのひとこと」を勉強しましょう。

 誰かと二人きりでいるとき、うっかりおならをしてしまい、気まずい雰囲気になることってありますよね。特に困るのは、好きな異性といるとき。男性はともかく、女性はどうしていいのかわからないんじゃないかと思います。

 ある程度親しくなれば、出そうなときに「出ます」、においそうなら「においます」と報告することで、礼儀正しくふるまうことができますが、まだあまり親しくないときにはどうすればいいのでしょうか。そこで、今回は、これからもっと親しくなりたい男性と二人でいるときの、女性向けのとっさのひとことをレッスンしましょう。

 それでは、最初のレッスンです。あなたがプゥとおならをしてしまったら、できるだけ大声で、次のように叫んでみてください。

「伏せてっ、ガス爆発するわっ」

 そう叫びながら、床に伏せましょう。あなたのユニークなアクションに、相手は思わず笑顔がこぼれることでしょう。また、不測の事態へ的確に対処する姿に、意外としっかり者なんだと思われて、好感度アップは間違いありません。万が一、相手の男性に「なんだこいつ?」という顔をされたときは、自爆しましょう。

 はい、次のレッスンです。このひとことには、それなりの演技力が必要とされるので、できることなら家でしっかり練習をしてください。

 あなたがブゥッと少し大きめのおならをしてしまったら、次のように言ってみてください。

「大地が…大地が怒っておるぞォッ」

 そう老婆のような声で言いながら、身体をガクガクとふるわせましょう。そのとき、相手の反応がいまひとつ鈍いようでしたら、目玉をぐるっと回して白目で相手にしがみついてください。すると、相手はおならのことどころではなくなり、おならをうまくごまかすことができるばかりか、あなたが大地の怒りにとりつかれたことを心配して、あなたが一人で静かにできる時間を大幅に増やしてくれることでしょう。

 さて、最後のレッスンです。最後だけあって、かなり難易度が高いですが、これができれば上級者なのでがんばってください。

 あなたがプゥとおならをしてしまったら、小さな声で次のように言ってください。

「ごめんね」

 できれば、うつむいて顔を真っ赤にしながらいいましょう。ふだんはちょっとサバサバした感じの女性だったりすると、その照れっぷりとのギャップ効果でさらに好感度倍増です。上記のセリフを言うと、相手は「気にすんなよ」などと言いますので、そのときは黙って相手の背中にぴたっとくっついてください。そう、おならなんて誰もがするものですから、あまり気にする必要はないんですよ。はい、最後はまったくおもしろくない誰かさんの好み丸出しのレッスンでしたね。

 あ、ちなみに私がおならをしたときは、爽やかな笑顔で相手を見ながら「ねえ、なんだかジャスミンの香りがしない?」と言うことにしています。それでは、次回の放送をお楽しみに〜。

 


こんなこともございます

2007.08.08


 業界の挨拶はいつでも「おはようございます」だ。これは、「こんにちは」「こんばんは」がどうもなれなれしいのに対して「おはよう」だけが「ございます」とつけられるので、丁寧な感じがして言いやすいためだというのが定説である。確かに、「こんにちはでございます」「こんばんはでございます」というのは、どうにも座りが悪いように感じられる。

 しかし、業界ではいつでも「おはようございます」で通用するとしても、業界外ではそういうわけにもいかない。そこで、「こんにちは」「こんばんは」に代わる、なんとなく丁寧っぽい挨拶というのが巷では求められているはずなのだが、どうもそれらしい挨拶が存在しない。考えてみれば不思議な気もするが、せっかくなので、ここで使いやすい挨拶について一考してみることにする。

 まず、なぜ「おはようございます」が言いやすいのかといえば、前述したとおり、語尾の「ございます」にその理由がある。しかし「おはよう」を使うのは、基本的に朝に限定されている。そこで、優れた部分を抽出して、それを挨拶としてはどうかと考えられる。つまり、朝ではない時間帯に挨拶をするときは、次のように言ってみるのである。

「ございます」

 だが、たいていの人はそれを聞いてこんな反応を示すだろう。

「何が?」

 まったくそのとおりである。「ございます」だけでは、何がなんだかわからない。いったい、そこに何が存在するのかを示さなければ、内容が不足していると言わざるを得ない。そこで、そこに何が存在するのかを考えてみれば、デカルトに言わせれば、その存在が確かなのは「私」だけであるらしいので、挨拶は次のようになると考えられる。

「私でございます」

 これで少なくとも文章にはなる。挨拶とは、そこに自分が存在することを表明するものであるのだから、これで必要十分といえなくもない。だが、これだけでは、相手によっては「それがどうしたの」と思われてしまう可能性もあるため、自分が相手に何を求めているのかを分かりやすく言明するのが適当ではないかと思われる。

「私を見てほしいのでございます」

 こうすれば、挨拶の目的を十二分に達成できるだろう。少なくとも、相手が自分の存在を認識することは間違いない。

 しかしながら、少しあらたまった言い方になってしまっているため、特に見てほしいものがあるわけでもないのに、妙に相手の注意をひいてしまい、挨拶後に気まずい雰囲気が漂ってしまう可能性もある。そこで、さらにひとこと付け加えて、自分が相手に存在を認識してほしいだけであり、特に相手に何かを求めているわけではないということを表明することにする。

「私を見て、あとはあなたの好きにしてほしいのでございます」

 こうして何の欠点もない挨拶ができあがる。ただ、言う人によっては、少しばかりエロチックに聞こえる挨拶かもしれない。もし、妙齢の女性から伏し目がちでこんな挨拶をされたら、もちろん、ボクの股間が「こんにちはっ」とご挨拶。

 ごめんってば。

 


部屋のドアに続く長く果てない道

2007.05.15


 引越しの挨拶を成功させるコツは、「この人にぜひ隣に住んでほしい」と相手に思わせることである。

 では、どのような人物が「ぜひ隣に住んでほしい」ような人物であるのかといえば、たとえば私のような一人暮しの男が挨拶に行く場合、まずは犯罪などには縁が無い人間であることを相手にアピールしておくことが大切だ。

「盗聴とか、絶対しませんから」

 このひとことで、相手の警戒心はずいぶんと緩くなる。もし、現在、隣人関係がうまくいっておらず悩んでいる人がいれば、自分がこのひとことを忘れていなかったか思い出してほしい。

 また、警戒心を解くだけではなく、好感度をあげていくことも重要である。自分がいざというときに頼りになるということをアピールしておけば、できるだけ仲良くしておこうと相手が思うのは当然の心理だ。

「エイッ! あっ、うっかり得意のカラテをやっちゃった」

 これだけでは野蛮な人だと思われるかもしれないので、嫌味にならない程度にインテリジェンスをアピールすることも忘れてはいけない。

「アレ? カラテって、なんだかパキスタン最大の都市カラチに似てるね。フフ」

 もう期待感がとまらない。なんとすばらしい青年が引っ越してきたものだと、相手はすぐにでもウェルカムパーティーを開きそうな勢いだ。もし隣の先住者が妙齢の女性だったりすれば、もしかして恋の予感?

 現在、隣人関係がうまくいっていないという人も、今からでも遅くない。すぐに、隣の部屋のドアを叩いて、こう言えばバッチリだ。

「今まで無愛想で、会って挨拶もせず、夜中に突然お経を唱えたりしてごめん。俺、本当は気さくで話しやすいタイプだから、仲良くしよう」

 さあ、これで私が教えられることは全部教えたぞ。次は、君が私に人付き合いの仕方を教えてくれる番だ。

 


書くあるべし

2007.05.10


 どうにも不愉快に感じるのだが、何らかの事件、事故の加害者や被害者が書いたウェブ日記をニュースで取り上げるのはやめてほしい。

 5月10日
  バイト終わった〜ヽ(≧▽≦)ノ
  明日は友達と遊ぶ約束!
  ちょ〜楽しみ☆

 何の変哲もない日記であっても、もし、書き手が被害者であれば「こんなに希望に満ちた生活に悲劇が…」、加害者であれば「平穏な日常のどこに狂気が隠されていたのか…」などと、もっともらしい解説とともに「解釈」されてしまうのだから、始末が悪い。

 大体において、このような文章などどうでもいいこと(クララが立った――けど、立ちくらみでクララッ、など)を考えながら書かれているのであり、それがさも意味があるかのように「解釈」されるのでは、いわば相手だけが後だししてもいいというルールでジャンケンをするようなものだ。たいしたことを考えているわけでもないのに、たいした意味を持たせられては、うっかりとくだらないシャレやちょっとした性癖などを書くこともできず、どうブルマえばいいのかわからない。

 では、いかにすれば勝手な「解釈」を避けられるのかといえば、まずは簡単なことだが、文末に適当な言葉を付け足すのが有効ではないかと思う。

 5月10日
  バイト終わった〜ヽ(≧▽≦)ノ 馬並みに
  明日は友達と遊ぶ約束! 馬並みに
  ちょ〜楽しみ☆ 馬並みに

 たった数文字を加えるだけで、なにやら意味ありげな文章になるのだから、分かったことようなことを適当に言おうと待ち構えているコメンテーターたちも、うっかりと声を上げられなくなる。しかも、意味ありげなのに意味はないのだ。さらに、行間に適当な文章を挟みこめば完璧だ。

 5月10日
  バイト終わった〜ヽ(≧▽≦)ノ 馬並みに
  メガネ舐めたい。
  明日は友達と遊ぶ約束! 馬並みに
  ペロペロラレリロルレロレロ。
  ちょ〜楽しみ☆ 馬並みに
  はいッ先生! 希望の朝です!

 かくして、わかったようなことを言うのがはばかられる日記が完成する。この文章を紹介しながら、恣意的に偏向した印象を与えようとしても、まず説得力を持たせることは難しいだろう。ちょっとした工夫で不愉快な目を避けられるのだから、ウェブ日記とはかくあるべし。

――などと意味不明の文章を書き残しており、犯行の動機は未だ不明です。

 


やさしい世界の呪いかた

2007.04.01〜30



#31 2007.04.01

「あなたが好きなの」
腹話術なの。



#32 2007.04.02

え、どうして知ってるんですか。そうなんですよ、ライダーさんが、今度、私たちショッカーの本拠地に乗り込んでくるんですよね。その日って、ライダーさんの改造手術をしてからちょうど一年らしくって。それで、幹部の方と相談して、パーティーの準備をしてるんです。そう、サプライズパーティーってやつ。ライダーさんが本部に飛び込んできたときに「おめでとう!」っていってあげたくて…。あ、ライダーさんにはナイショですよ。驚かせたいんだから(テヘッ☆)



#33 2007.04.03

「ばかっ! これが嘘をついていない目に見える!?」



#34 2007.04.04

「ねえ、この問題、どう解くの?」
「こんなの簡単よ。余計なことをしてから教えてあげる」
「やだ、他人のノートにベムを描かないでよ」
「ごめんね、余計なことして」



#35 2007.04.05

彼女急募。明るく健康的な職場です。



#36 2007.04.06

彼女急募。明るく健康的な職場でした。



#37 2007.04.07

「ねえ、琴ちゃん。私、実は超能力つかえるの」
「…ふうん」
「あれ、疑ってる? じゃあ、今からテレポートしてみせてあげる」
「ほんと?」
「行くわよ。テレポーテーション!
「ちょ、ちょっと。そんな大声で…みんな見てるよ」
テレポーテーション!
「ね、お願い。恥ずかしいから…」
テレポーテーション!
「神様、私をテレポートさせて…」



#38 2007.04.08

「いいえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました。――あなたの検便です」



#39 2007.04.09

★ポッキー占いワン

「一方はプリッツ。もう一方は、俺がチョコを舐めとったポッキーだ。さあ、選べ!」
右を選んだあなた → 「ポッキー…
左を選んだあなた → 「プリッツ


★ポッキー占いツー

「一方はプリッツ。もう一方は、わたしがチョコを舐めとったポッキーよ。さあ、選んでね」
右を選んだあなた → 「ポッキー!!!!!!
左を選んだあなた → 「プリッツ……



#40 2007.04.10

私、亜沙子。
ごくふつうの女子高生。
でもね、夜中に髪が生き血を求めてさまようの☆



#41 2007.04.11

『の戦い』を『でデート♪』に置換してみた。

 1560年 桶狭間でデート♪
 1575年 長篠でデート♪
 1600年 関ヶ原でデート♪

うん、いい。



#42 2007.04.12

父、ワンピ。



#43 2007.04.13

「ねえ、琴ちゃん。何か気付かない?」(4)
「うん。なんかセリフのあとに数字がついてるね」
「うふふ。これね、オチまでのカウントダウンなの」(3)
「ふうん。わざわざ予告してるんだ。でも、どうして?」
「こうやって数字が減るたびにプレッシャーを感じるのがいいの。会話の展開を予想して、知性を駆使して発言するのが醍醐味なのよ」(2)
「大丈夫? もう2だよ。この流れでオチるの?」
「まかせてよ。ばっちり期待してて」(1)
「まあ、いいけど…」
「えっ、夢!?」(0)
「……」



#44 2007.04.14

「本部、応答せよ! 本部、聞こえるか! 緊急事態! 救援要請を行う! 至急、援軍を頼む! 今、俺、ハトに囲まれてる!」



#45 2007.04.15

男「今すぐ君に会いたいよ」
女「わたしも。でも、出不精なの」
男「ぼくもだ」



#46 2007.04.16

天国に差別なんてないよ。
『キモい人の天国はこちら』
あったよ。



#47 2007.04.17

神は死んだよ。
そして、仏も引退を決めたよ。
「わたし、普通の仏陀に戻りますっ」
無理だよ。



#48 2007.04.18

題名『パンチラのある文章』

必要とされる知的負荷を他者に代行させることによって自分が潜在的に優れた人間なのだと考えようとすることは、必ずしも内観能力に欠けた選択肢とはいえず、返していえば負荷を避けて誤謬を内包させた結果を放棄するという選択肢はあまりにも欺瞞的であるといえる。

チラッ

しかしながら、それが最善の選択肢というわけではなく、すなわち負荷を避けることによって得られる結果が欺瞞的であるとするならば、負荷を代行させて得られる結果は選択を放棄しているばかりでなく、選択肢そのものを放棄しているといえる。いささか迂遠に聞こえるかもしれないが、あるいはそれが最善なのかもしれない。



#49 2007.04.19

鬼に豆をぶつけるのは照れ隠しのため



#50 2007.04.20

『宇宙』を『香川』に置換してみた。

 2001年香川の旅
 香川戦艦ヤマト
 香川刑事ギャバン

や ば い。



#51 2007.04.21

冬眠に挑戦する亜沙子。
とりあえず、口いっぱいにクッキーをほおばってみる。



#52 2007.04.22

「ね、北条さん。これからは下の名前で呼んでもいい?」
「うん、いいよ。せっかく友だちになれたんだし、おたがい呼び捨てにしよ」
「あら、だめよ。私は美穂に呼び捨てされたくないわ」
「……」



#53 2007.04.23

ザーザー
「ねえ、琴ちゃん。すごい雨だね」
「そうだね」
「こんなときは、琴ちゃんを窓辺につるせば…」
「きゃっ、何するの!? あっ、すでに亜沙子さんがっ…!」



#54 2007.04.24

「ねえ、あなた。お風呂みたいな食事にする? 食事みたいなお風呂にする? それとも、私みたいなた・に・ん?」



#55 2007.04.25

手垢手垢〜♪
酢豚にパイナップルは許せない〜♪
手垢手垢〜♪
歯磨粉と間違えて洗顔料で歯を磨いちゃった〜♪
手垢手垢〜♪
「人間は顔じゃない」と言おうとして「人間の顔じゃない」って言っちゃった〜♪
手垢手垢〜♪
月極駐車場をげっきょく駐車場っていうチェーン展開してる駐車場だと思ってた〜♪
手垢手垢〜♪
手垢がつきまくり〜♪
もう二度と聞かせるな〜♪



#56 2007.04.26

羊を一匹…ターン!
羊を二匹…ターン!
積みあがる羊の死骸
まだ眠くならない



#57 2007.04.27

ぼくのしょうらいのゆめはにんじゃになることです

――先生、ごめん。
俺、忍者になれなかったよ。



#58 2007.04.28

 今まで気付かなかったけど、俺って本当は、頭良くて、かっこよくて、空手柔道合わせて十五段で、ノーベル賞六部門制覇で、押し入れには金メダルがいっぱいで、オリコントップ10独占で、執事を八人雇ってて、性格もよくて、女にモテモテで、不老不死なのか。
 夢みたいだ。



#59 2007.04.29

卒業式にウェディングドレスで出席する亜沙子



#60 2007.04.30

送辞を読む亜沙子



 


100パーセントのヒーロー

2006.12.02


 かつて、スパイダーマンは言った。

「ヒーローは孤独だ」

 私はヒーローじゃないが孤独だ。

 それはともかく、ヒーローとは、孤独であることにその本質がある。人を助けたら、名も告げずに立ち去るのがヒーローの流儀であって、助けるたびに「ねえ、俺のおかげで助かったよね? ね?」というようなヒーローは鬱陶しい。

 また、孤独であることには、利点も多い。ヒーローであることが周囲に知られてしまったら、普段から悪の組織に命を狙われたり、つまらないことで「お前、ヒーローなんだろ」と用事を言い付けられたり、「ヒーローさん」などというあだ名で呼ばれたりしかねない。

 つまり、ヒーローと孤独は決して切り離せないものであり、ヒーローを志すならば覚悟をしておくことだ。ヒーローを極めたヒーローともなれば、その孤独は想像を絶する。

・助けにいったら、露骨に嫌な顔をされた。
・悪人にも無視された。
・声をかけづらくて、そのまま帰った。

 これは、もはやヒーローを超えた「超ヒーロー」といっても過言ではない。

 もちろん、超ヒーローが孤独に悩まないわけではない。ヒーローをやめたくなるときもある。だが、正義の味方としての使命感が、彼を突き動かす。やがて、ヒーローは苦悩を乗り越え、更なる高みを目指す。…それは、究極の孤独。

 ――すなわち、人類の滅亡。

 または、満員のエレベーターでおならする。

 


デトロイト・メタル・ショウテン

2006.08.09


 パンクにとって我慢ならないのが笑点の大喜利である。見ているだけで体がふやけてきそうなあの空間で、体制に組み込まれた薄汚い豚どもに対するやり場のない怒りをどうやってぶつけろというのだ。

 そもそも、座布団の枚数が増える程度の報酬で、人が真剣になれるとでも思っているのだろうか。いつから人間はそこまで達観したのか。かのマザー・テレサは言った。「人を恐怖と欲望によって支配することはできるが、座布団では無理」と。嘘だが。

 笑点は、もっと殺伐としていなければ、パンクと呼ばれるに値しない(ここで、「笑点は別にパンクを目指してないよ」とか、小賢しい突っ込みはするな)。そこで、提案する。舞台では、座布団の代わりに表面がギザギザになった石の台の上に回答者を正座させよう。そして、つまらない回答を言ったときは、正座した脚の上に重し(通称、THE BUTON)を載せることにしよう。

「おおい、山田くん。THE BUTON一枚やっとくれ」

 歌丸がそう呼びかけると、身長2m10cmの山田隆夫が重さ25kgのTHE BUTONを片手でぶらぶらさせながら、不気味な笑みを浮かべて舞台袖から登場する。

「はい、かしこまりました…」

 山田隆夫はくぐもった声で返事をし、回答者の脚の上にTHE BUTONを載せ、ついでにぐっと体重をかける。「……!」。声にならない悲鳴を上げる回答者を見て、山田隆夫は瞳の奥に捩れた愉悦を浮かべる。

 客席は、ただ息をのみ、大量の汗をたらしながら耐える回答者を見つめている。回答者の荒い息遣いを除き、会場は静まりかえっている。そんな中、歌丸が次のお題を告げる。

「さて、次のお題です。リストラされたばかりのサラリーマンが、連続強姦魔の冤罪をかけられ取調べ中に、思わず笑ってしまった一言とは? さあ、お答えください。ただし、ピカチュウ語で」

 鬼のようなお題を出す歌丸。絶望的な顔を浮かべる回答者たち。固唾を飲む観客。十数秒ほど沈黙が流れる。このまま回答が出なければ、全員に1枚づつTHE BUTONが載せられてしまう(そういうルールだ)。やがて、歌丸が残酷な笑みを浮かべつつ時間切れを告げようとしたとき、突然、会場の背後の扉が開いた。

「ちゃらーん、こん平でーす」

 こん平の登場に、凍り付いていた会場の空気が動き出す。一瞬、不意をつかれて目を見開いていた歌丸は、すぐに気をとりなおして突然の闖入者に怒声を浴びせようする。しかし、こん平はそれで鋭い目で制し、おごそかに告げた。

「みんな仲良くしよう」

 それで、みんな納得して輪になってマイムマイムを踊りました。おわり。

 


対精神感応能力考

2006.05.28


 多くの人は、どうしようもない妄想(もし学園のマドンナとボクの体が入れ替わっちゃったら!?)をしているときに、ふと不安になる。

「ひょっとして、一般人のふりをしたテレパシスト(以下、T)が、自分の思考活動を覗いているのではないか」

 あわてて「あー、今日の晩ごはんは何だろう」と、とってつけたようなことを考えても無駄だ。そのとりつくろう様子も、Tには筒抜けなのだから。

 そのようなTに対して、一般人が取り得る対抗措置はほとんどないといってもよい。最も単純なのは、「一切の邪念を無くす」というものだが、聖人でもない限り、人が邪念を無くせるのは死んだときとウンコがもれそうなときだけだ。

 なんとかしようと思っても、そもそも誰がTなのかを特定することすら難しい。バカなTが相手であれば、「あいつチャックが開いてるぞ」などと思念を送ることで思わず股間に目をやったりするだろうが、普通に考えて、Tは自分がテレパシストであることを隠して生活しているだろうし、そのような単純なひっかけにはのってこないだろう。

 Tをひっかけるのが難しいのは、「ひっかけてやろう」という意図すらTに読み取られているからだ。先の例でいえば、「あいつチャックが開いてるぞ」と同時に「これでひっかかるかな?」と考えていることまで、Tには読まれているのである。これでは、Tは警戒して当たり前だ。Tをひっかけるためには、もっと巧妙にする必要があるだろう。

 たとえば、事前に協力者(以下、B)を用意しておき、その目的を説明せずに、簡単な指示を出しておく。

「私(以下、A)がサインを出したときは『C子のパンツが見えてる』ということを考えている。そのときは『マジかよ!?』と考えながらC子を見るように」

 ここで、Aは「Tをひっかけてやろう」という意図を持っているが、Tにはそれが誰に向けられたものかわからない(Aにも誰がTか分からないため)。そして、Bのアクションを見て、TにBもテレパシストであるという誤解を持たせることができるかもしれない。結果、TはAが自分ではなくBをひっかけようと意図していると判断して警戒を解き、とりあえずC子のパンツをうかがうぐらいはするかもしれない。

 極めて回りくどいやり方ではあるが、ここまでやっても「ひっかけられる可能性があるかもしれない」という程度で、公平に見てその可能性は低いといわざるを得ない。失敗すれば、Tはさらに警戒感を強めるだろう。

 結局のところ、一般人が確実にTに対抗する方法は無いと思う(が、もっとうまい方法があれば、ぜひ教えていただきたいが、そんなことを真剣に考えてくれる人は、さすがに心配だといわざるを得ない)。それに、Tにとって一般人の妄想など、一般人にとっての週刊誌の体験告白コーナー程度の興味深さしかないだろうと思う。積極的にどうしようもない妄想(学園のマドンナが借金のカタとして我が家のメイドに! えっ、何でもいうこと聞いてくれるの?)を開示する必要はないが、あまり気に病まないほうがいいだろう。

 それでも、どうしても気になるというのなら、気にし続ければいい。個室まで、もうすぐだ。

 


痛いの痛いの飛んでけ大空に

2006.04.30


 とある病気にかかったのだが、それが激しく神経を刺激するので、痛みに弱い私は悶絶している。その様子を見た人が「そんなに痛いの?」と聞いてくるのだが、「痛み」とは、伝えるのがいかに困難なものであるかを実感した。

 思うに、痛みとは、それを経験していない人間には伝えることが不可能なものなのだ。ありきたりなたとえ話で「タンスの角に足指を――」とか「ツメの裏側に針を――」などといってみたり、あるいは、昔のジョークであったように「1cmの鼻毛を1Nの力で引き抜いたときの痛みを1hanageとして――」と痛みの定量化を試みたところで、決して伝わることはない。なぜなら、しょせん他人事だから、わざわざそれを想像してみたりはしないのだ。では、いかにすれば痛みを伝えることができるのか考えてみると、痛みとは「いかに痛くないか」を伝えることによってのみ、伝えることができるのだと思う。

 つまりは、こういうことだ。

「痛むの…?」
「ツッ…たいしたことは無い」

 ここで目を伏せ、グッと唇をかみ締め、身体を震わせながら言うことで、相手に「うわあ、痛そう」と思わせることができるのだ。自分が大丈夫であることを伝えることで、相手の主体的な想像力がはたらき、いかに痛いかを考えさせることができるのである。

 したがって、「どれくらい痛いのか」を伝えるために、あまり痛そうな様子を前面に出してはいけない。もっとも、本当に「痛くなさそうだな」と思われてしまっては元も子もないので、「痛みなどないように自然にふるまいつつ痛そうにする」という、やや複雑な表現力が必要となる。

・ 「ウヒョー! あの娘、ブラの線が透けて見えるぞ」と涙目で叫ぶ
・ 「フロントホック? フロントホック?」と二回尋ねながら、全身を痙攣させる
・ 「オレ、このまえ、はじめてブラの試着に行ったんだけどさあ」と世間話をしながら、のたうちまわる

 「どうだろう?」と訪れた友人に問うたところ、友人は少し考えたあと、「うん、あなたの痛さが伝わってくる」。

 


花咲く乙女たち

2006.02.22


 冬季五輪の女子カーリングを見た多くの人が、もし自分がチームを編成するならと、理想のカルテットについて思案をめぐらせたことだろう。

 まず、欠かせないのがチームリーダーであろう。強い精神力と信念を持ち、その姿を見ただけでチームメイトは絶対負けないような気持ちになれる存在である。チームを引っ張る情熱的な言動が目立つのが特徴だ(「あたしのショットは曲げられても、魂までは曲げられないのよ!」)。

 そして、リーダーのよき補佐役が、知性派の眼鏡である。氷上のチェスと呼ばれる(らしいが、私は先日はじめて聞いた)カーリングにおいて、ともすれば熱くなりすぎるリーダーを抑え、冷静な判断で試合をコントロールする役割を負っている。

 アクセントとしては、やはりムードメーカーであるお調子者の存在が必要だろう。チームの敗色が濃厚になっても、その笑顔でチームを鼓舞し、勇気付けることを忘れない。その明るい笑顔の陰に、ちょっぴりトラウマな過去があったりするのだが、だからこそ、決してつらい顔を見せたりはしない。

 4人目は、議論のあるところだが、ここはお色気担当を入れておきたい。できれば天然ボケの要素を持っていることが望ましいだろう。ストーンを滑らせようとして転んでしまい、自分が滑っていったりする。無論、ユニフォームは一人だけミニスカートだ。誰もが「どうしてこんなやつが代表に選ばれたのだ」と思うのだが、彼女が逆転の必殺技ローリング・セクシー・コリオリ・スパークを炸裂させたとき、観客は沈黙する。

 かくして、リーダー、眼鏡、お調子者、お色気の4人で結成された理想のチームは、最高のチームワークで世界の頂点を目指して突き進むのである。だが、簡単に勝ち進めるほど勝負の世界は甘くは無い。彼女たちの前に、彼女らの弱点を調べつくして結成された最強のライバルチームが立ちはだかる。

 まず、リーダーに対抗すべく選ばれたのが「卑屈」である。情熱的なリーダーにとって、まるで信念など無いかのように無用に自分を貶めて薄笑いを浮かべている奴を見ることは耐え難いことなのだ。リーダーがにらみつけると、顔色をうかがうように下から見上げてくる「卑屈」を相手に、リーダーは本来の力を発揮できない。

 眼鏡に対抗するのは、「孤高」である。秀才タイプの眼鏡は、テストの五科目合計ではいつもトップの座を保持している。だが、テストなんてまるで知らぬかのように独特の雰囲気を醸し出しながら校庭を眺めている「孤高」には、微妙なコンプレックスを抱いているのである。負けたくない。そんな対抗意識が眼鏡の歯車を狂わせ、いつものように冷静な判断ができず、ペースを乱してしまう。

 そして、お調子者の相手が「笑い出しが早い奴」だ。こいつは、お調子者がちょっとおどけてみせただけで、突然横から顔を出して手を叩きながら笑い出す。しかも「こいつ、何がおもしろいかわかってないくせに、とりあえず雰囲気を良くするつもりで笑ってんだろうな」と思わせる笑いなのだ。こいつの笑い声を聞くと、かえって不愉快になる。かくして、チームメイトの笑顔は凍りつき、次第に気まずい雰囲気になっていくのだ。

 最後に、ある意味では敵にまわすと最もやっかいなタイプと恐れられるお色気に対抗すべく送り込まれたのが「仔犬」だ。お色気は、試合中も仔犬のことが気になって仕方が無い。チラチラと見てしまう。ましてや、ストーンのコース上に仔犬が迷い込んだりしたら、「だめっ」と自ら投げたストーンを抱え込んでしまう。

 かくして、最強のライバル「卑屈」「孤高」「笑い出しが早い奴」「仔犬」を相手に、主役チームは死闘を繰り広げることになる。お互いに持てる力を出し尽くし、一進一退の勝負のすえ、主役チームは勝利を得る。だが、そのために払った代償は小さなものではなかった。チームメイトの危機を身を投げ出して救ったお調子者のことを、彼女たちは決して忘れることはできないだろう。残されたチームメイトは、唇を噛み締めて涙をこらえていた。リーダーが空を見上げると、そこにはお調子者の笑顔がみえた。そして、いつものように「スマイルだぞっ」といっているような気がした。

 そんな彼女たちが、青森地区予選2回戦で敗退することを誰が想像しただろうか。

 


さくら(独唱)

2006.01.07


 ひとむかし前までは「福袋」といえば「余りものには福がある」という欺瞞とともに、あからさまな売れ残り商品が入っていたものだ。ところが、近年はずいぶんと福袋も進歩して、たいそう豪華にみえる売れ残り商品が入っている。福袋の人気は上昇し、福袋を求めて百貨店に行列をつくったり、奪い合ったりする大衆(豚)は、もはや正月の風物詩である。

 福袋の地位向上にともない、人気をあてこんで客寄せをしようと、さまざまな店で福袋が売られるようになった。「どうやって生計を立てているんだろう?」というようなちいさな店が、店先に福袋を並べたりしている。近所にある八百屋兼雑貨屋「なす商店」も、そのひとつだ。

 ところで、福袋には開けてみるまで中身がわからないものと、あらかじめ中身がわかるようになっているものがある。中身に自信がある場合は「開けても文句はいえないだろう」という感じで中身はわからないようになっている。一方で、中身を知らせずに販売したら暴動が起きそうな商品を詰め込んだ福袋の場合、はじめから中身に何が入っているか公開されていることが多い。

 もちろん、「なす商店」で販売していたのは後者のほうで、並べられた福袋のわきに中に入っている商品が紹介されている。色々なものがゴチャゴチャと詰めこまれている。まずは、洗剤。福袋を買うときのウキウキした気分をぶちこわしてやろうという店主の意気込みを感じる。それから、小さめの掛け時計。時計盤に描かれたミッフィーが可愛い。だが、ミッフィーは青色ではなかったはずだ。そのほか、夏に売れ残った花火や、なぜか特大クリップなどが入っている。この袋のどこに「福」があるのか聞いてみたいような気がする。値段は千円。これがずらりと店先に十袋並べられてあった。隣には「先着十名様のみ!」という張り紙が風にゆれている。まだ一人目は到着していないようだ。

 翌日もその店の前を通ったので福袋の数を確認してみた。昨日は「誰がこんな福袋を買うのか」と思ったが、他の客もそう思ったようだ。きちんと十袋残っている。ひとつひとつの商品を見るとあまり購買意欲がわかないが、まとめてあるとなおさらだ。

 その翌日も数を確認する。やはり十袋がきちんと並べられてある。なんだかかわいそうな気もする。千円なのだから、誰か血迷って買ってあげればよいのに。お店の人もあまりの売れなさに業を煮やしたのだろう。「先着十名様」に花丸がしてある。

 そのまた翌日。やはり十袋が残っている。それを確認して、少しほっとしたような気分になる。少し情がうつったのだろうか。なお、価格が千円から八百円に値下げされていた。ますますダメだ。

 そのまたまた翌日。十袋は変わりない。今日も立派に売れ残ったことが、なんだか誇らしい。馬鹿な子ほど可愛いというやつか。値段は八百円のままだが、「福袋を買っていただいたらマヨネーズを割引!」との張り紙がある。店主に、泣くまで反省文を書かせてやりたい。

 そのさらに翌日。福袋はきれいに撤去されていた。正月を過ぎたからひっこめたのだろうか。ここのところ、帰りに袋の数を確認するのを楽しみにしていたので、思わず立ち尽くしてしまった。がっかりした。好きな子に好きと言えなくてつい意地悪しているうちに、そのままその女の子が転校してしまったときの、ぼうぜんとする小学生男子の気分だ。

 そして今日。福袋売り場には、なぜかデジャヴを感じさせる「お楽しみ袋」が十袋置かれてあった。確かに、楽しみだ。




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