『愛の若草物語』 目立たぬ長女メグに愛を込めて

愛の若草物語
1987年1月11日~12月27日放映(全48話)

 南北戦争中のアメリカ北東部に住むマーチ家の四姉妹が、父の出征で女ばかりの家の留守を預かり、お互いに助け合いながら成長していく姿を描いた物語である。


『愛の若草物語』24話 左上メグ(16)、右上ジョオ(15)、左下ベス(10)、右下エイミー(7)

 見終わって思ったが、長女メグのあつかいが悪くないか。

 次女ジョオは文学、三女ベスは音楽、四女エイミーは絵画とそれぞれに特技が設定されているのに、メグには何もない。

 メグに関するエピソードも、舞踏会デビューしようとしたら戦火に巻き込まれてできなかったとか(6話)、念願の舞踏会デビューを果たしたら足をくじいたとか(19話)、舞踏会で着飾ったら「孔雀みたい」と言われたとか(31話)、あまりメグの魅力を伝えるものがない。

 ほかの3人については、それぞれに印象的なエピソードがある。

 次女のジョオは37話で、戦地でケガをした父親のために自らの髪を売る。家族の前では、あっけらかんと「もじゃもじゃのときよりきっと頭がよく働くわ。軽くてひんやりして気持ちがいいのよ」と笑う。しかし、乙女が髪を切って平気でいられるわけがない。部屋に戻ったジョオは、ひとり枕を濡らす。思わず、頭を撫ぜながら、「だいじょうぶ? おれと結婚する?」といいたくなるシーンである。

 三女のベスは11話で空想のピアノを弾き、本物が弾きたくて涙を浮かべるほどのピアノ好きである。いろいろあって、隣家の老紳士ローレンスからピアノを贈られる。ふだんは冬眠中のシマリスよりおとなしく、マメ科の花より目立たないベスが、「私、幸せすぎて倒れそうなの…」とからだを震わせ、ひとりローレンスのもとへ出かけ、抱きついてお礼をいうシーンに、視聴者は萌え狂わざるを得ない。好きである。


『愛の若草物語』26話 ローレンスとベス

 四女のエイミーの42話における健気さは特筆すべきことである。ベスが病気で倒れ、感染しないように大叔母の家に預けられたエイミー。自宅には近づかないように言われるのだが、ある雪の日にがまんできずに自宅の庭先まで来てしまう。いつもはでしゃばりで我の強いエイミーが、ただ心配そうに家を見上げて雪の降る庭先にたたずんでいるところは、家族愛の象徴ともいえるシーンである。

 あと、メグはボンレスハムみたいな髪をしている。

 ――と、澤選手のようにオチ担当になってしまうのがメグなのである。若草物語で人気投票をしたら、ほかの三姉妹が上位に食い込む中、ひとりだけ9位とか微妙な順位になって、視聴者をいたたまれない気持ちにしそうなのがメグなのである。

 メグは47話でプロポーズされるのだが、最初は断ろうと思っていたのに、大叔母から「あんな貧乏人はやめておけ」と言われて、「そんなことないわ、彼はいい人よ!」とプロポーズを承諾してしまう。そんな勢いで決めて後悔しないか、老婆心ながら心配である。

 とにかく、どうか彼女に幸せがめぐってきますように。(メグだけに)

『ふしぎな島のフローネ』に学ぶ無人島生活の心得

家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ
1981年1月4日~12月27日放映(全50話)

 友人に招かれ、スイスからオーストラリアへ移住することにしたロビンソン一家は、オーストラリア直前で船が難破し、近くの無人島に上陸して生活することになる。

 ロビンソン一家は、船の難破をはじめ、さまざまなトラブルに見舞われる。長男が毒虫によって失明しそうになったり、次男がマラリアにかかったり、オオカミの群れに襲われたり、苦労してつくった船がすぐに転覆したり、世界名作劇場の他の作品と比べてもかなり悲惨な目に会っているのだが、全体としてはフローネがちょっぴり変わった南国リゾート生活を満喫している印象を受ける作品である。


左『ふしぎな島のフローネ』21話 海亀の孵化を見守るロビンソン一家
右『ふしぎな島のフローネ』25話 火おこしをするロビンソン一家

 ところで、せっかくの無人島ものなので、ここであらためて「無人島に何かひとつだけ持っていくとしたら何がいいか」という、いわゆる無人島問題を『ふしぎな島のフローネ』を通じて考えてみたい。

 なんでもありの条件ならば、「フローネのお父さん」が最もよい選択だろう。職業は医者であり、無人島生活で頼りになることは間違いない。しかも、サバイバルの知識が豊富で、力仕事や工作も得意とする。医師不足で困っているオーストラリアの人々のために移住を決意するほど高潔な性格である。状況判断力や行動力にすぐれ、物語を通じて失敗らしい失敗といえば、兄にブスと言われて傷つくフローネに「人間に大事なのは姿かたちの美しさじゃない。気持ちが美しいかどうかなんだ」と言って、余計に怒らせてしまったことぐらいか。

 たしかに、フローネはひょうたんのような輪郭、団子鼻、平安眉という特徴的な容姿を持ち、美人といわれるような顔ではない。しかし、表情が豊富で、小柄な体を大きく動かして木登りしたり転げまわったりする姿はとてもかわいらしく感じられる。作画によっては、たまにドキッとするほどブサイクである。

 物品に限るという条件ならば、ロビンソン一家が無人島に持ち込んだものは、医療品、調理器具、調味料、大工用具、着替え、カーテン、銃、双眼鏡、植物の種、聖書、ナイフなど多岐にわたる。アニメを参考にしても、このうちひとつだけを選ぶのは、どれも一長一短で難しい。

 ただし、無人島問題を考えるとき、つい「どうやって生き延びるか」を考えてしまいがちだが、「どうやって脱出するのか」という視点から選ぶことも大切だということがこのアニメをみるとよくわかる。たとえば、ロビンソン一家は大きい布を縫い合わせて帆布にして脱出船にとりつけたが、あらかじめ用意しておかないと無人島ではそれに代わるものを見つけるのも難しいことから、「ありったけの布」というのも無人島問題の有力な答えのひとつかもしれない。


『ふしぎな島のフローネ』48話 ロビンソン一家の船出

 あるいは、無人島問題の答えは人でも物でもないのかもしれない。ロビンソン一家を見ていてつくづく思うのは、心の強さである。なにしろ、無人島にもかかわらず、フローネは算数の勉強をさせられていた。ふつうの神経なら教える方も教わる方も、この非常事態にそんなことをするのに耐えられないのではないか。だが、ロビンソン一家は決して自暴自棄にならなかった。

 いざ、無人島から脱出するにあたっても、自分の現在位置もわからず大洋に乗り出して無事に陸地につく可能性が高いとは思えない。それでも、島の脱出の成功を信じ、踏み切ることのできる心の強さ。それこそが、無人島問題の答えなのかもしれない。

 余談であるが、無人島に上陸してからフローネは、いつも赤いハイビスカスを髪に挿している。その花ことばは「勇敢」である。


『ふしぎな島のフローネ』12話 ポーズを決めるフローネ

世界名作劇場を全部見た

 アニメ世界名作劇場の全26作品を見た。全1161話である。

 この偉大な偉業の偉さを伝えるべく、よくある言いまわしで「一日中見続けても●日もかかる!」と書こうと計算してみたら、20日というあまりインパクトのない数字になり、もしかしてたいしたことのない偉業なのかもしれないと、とまどっているところである。

 しかしまあ、せっかく全部見たのだから、忘れないうちに各作品の感想を書いていこうと思っている。

 まず、世界名作劇場とは何か。1975年から2009年まで日曜19時30分から放送されていた外国の児童文学を原作としたアニメ、というのがだいたいの定義だが、定義に当てはまらない作品もいくつかある。ここでは、この文章の最後のリストに挙げた26作品のことを指すものとする。

 なお、『アルプスの少女ハイジ』が世界名作劇場に含まれるかどうかは諸説あるようだが、ふつうは含まないようである。というのも、ハイジはズイヨー映像という会社が、次作の『フランダースの犬』は日本アニメーションという会社が制作した、という違いがあるらしい。

 なぜそんなふうになったのか気になったので、ズイヨー映像設立者でハイジのプロデューサーを務めた高橋茂人氏の評伝を読んでみるとこんなふうに書いてある。

理想の作品を求めて起こしたスタジオに今最高のスタッフがそろっている。これからだと思っていた。だがある日、高橋が海外の出張先から戻ってくると、スタジオはそっくり新会社に移管されていた。高畑ら現場の人間も何が起きたかわからない間の出来事だった。

ちばかおり『ハイジが生まれた日 テレビアニメの金字塔を築いた人々』(岩波書店)

 それぐらいしか書いてない。よくわからないので、次に、ハイジのオープニングの作画などを手掛けた森やすじ氏の自伝を読んでみると、こんなふうに書いてある。

 ズイヨー映像は そこで 働いていた人達からすれば 現在の 日本アニメ―ションと同じです
 でも チンプンカンな出来事がありました 二 三年たって 社長さんが代わられたのです
 新しい社長は 働きものの 庶民的な方でしたから それでよかったのですが 以前の社長が ズイヨーという社名と一緒に その時までに製作したテレビアニメの 「ロッキーチャック」や「ハイジ」の権利も持って行ったのです
 スタッフは そのまま残っているというのに そのときから それらの作品は 他人の家のものになってしまったのです

森やすじ『アニメーターの自伝 もぐらの歌』(アニメージュ文庫)

 やっぱり、よくわからない。肝心の、誰がなぜそうしたのかがわからない。なにかイザコザがあったのだろうか。

 話を戻すが、各作品の感想は順不同で書き、最後におすすめ作品などを挙げてみたいと思っているので、よろしくお付き合いのほど。

【世界名作劇場リスト】
01. フランダースの犬(全52話)
02. 母をたずねて三千里(全52話)
03. あらいぐまラスカル(全52話)
04. ペリーヌ物語(全53話)
05. 赤毛のアン(全50話)
06. トム・ソーヤーの冒険(全49話)
07. 家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ(全50話)
08. 南の虹のルーシー(全50話)
09. アルプス物語 わたしのアンネット(全48話)
10. 牧場の少女カトリ(全49話)
11. 小公女セーラ(全46話)
12. 愛少女ポリアンナ物語(全51話)
13. 愛の若草物語(全48話)
14. 小公子セディ(全43話)
15. ピーターパンの冒険(全41話)
16. 私のあしながおじさん(全40話)
17. トラップ一家物語(全40話)
18. 大草原の小さな天使 ブッシュベイビー(全40話)
19. 若草物語 ナンとジョー先生(全40話)
20. 七つの海のティコ(全39話)
21. ロミオの青い空(全33話)
22. 名犬ラッシー(全26話)
23. 家なき子レミ(全26話)
24. レ・ミゼラブル 少女コゼット(全52話)
25. ポルフィの長い旅(全52話)
26. こんにちはアン ~Before Green Gables(全39話)

俺もおソノさんも山田くんも

 うすうす気付いている人も多いと思うが、いちおう報告しておくと、今回のワールドカップでも私は日本代表に選ばれなかった。

 見たところ、日本代表に選ばれているのはサッカー選手ばかりである。日本を代表する漆塗り職人や三味線奏者であっても、ワールドカップの日本代表には選ばれていない。おそらく、ワールドカップではサッカーの試合が行われるため、サッカー選手を選んでいるのだと思われる。メガネ屋の店員が、だいたいメガネをかけているのと似ている。

 とはいえ、日本代表にはサッカー選手を選ばなければならないと決まっているわけではないだろう。誰にでもチャンスはある。もちろん、サッカーが上手いにこしたことはないだろうが、下手でもチームの精神的支柱として選ばれることも考えられる。

 精神的支柱といえば、頼りがいとか包容力とか、そういうものが大切であろうと想像される。だったら、サッカーの技術は必要不可欠というわけではないし、サッカーが上手すぎたりすると、チームメイトはライバル心や嫉妬心からかえって頼りづらかったりすることもあるだろう。そんなわけで、チームの精神的支柱はむしろサッカー選手ではないほうがいいような気もする。

 なんとなく思うに、私が日本代表チームの精神的支柱を選ぶとしたら、「アハハハハッ!」と豪快に笑うような、子どもを4人ぐらい産んでそうな、ちょっとやそっとで動じなさそうな、言葉ではなく存在で説得力を持たせられるような、そんな人物にするだろう。仮に、彼女の名前は「おソノさん」としておこう。

 おソノさんは、サッカーボールに触ったこともないし、ひとりだけユニフォームの上にエプロンをつけている。

 おソノさんは、試合が始まれば、「ほら、いっといで!」とチームメイトの尻を大きくやわらかい手で叩いて次々とピッチに送り出す。

 おソノさんは、得点を決めた選手が駆けよってきたら、笑顔で選手の頭をくしゃくしゃになでる。

 おソノさんは、選手がこけても、助け起こしに行くのを我慢して、自分の力で立ち上がるのをじっと見守っている。

 そして、PK戦などプレッシャーのかかる場面で、おソノさんのもとに集まってくる選手たち。もちろん、選手に発破をかけるのはおソノさんだ。

「ほら、ここがふんばりどころだよ。がんばってきな!」
「じゃあ、おソノさん。俺たちが勝ったら、俺たちの好きなアレつくってよ」
「アレ…ってなんだい?」
「やっぱり、おソノさんといえばシチューだよね!」

 おーい、山田くん、レッドカード持ってきて。

十五の夜を超えて

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

 しかし、最近の私はどうだ。キャベツの葉をニヤニヤしながらむいて「おいおい、そんなに固くなるなよ…」と言ってみたり、「なんだ濡れてるじゃねえか」とつぶやきながら床にこぼした味噌汁を拭いたりしている日々だ。これは本当にロックなのか。私はカリスマなのか。

 このままではいけないのはわかっているが、では、どうすればいいのか。盗んだバイクで走りだせばいいのか。だが、バイクを盗むのは犯罪だし、なにより、カリスマが二番煎じをするわけにはいかないだろう。

 そう、二番煎じはロックではない。そう、二番煎じはロックではない。ロックは既成概念を打ち壊す必要があるのだ。既存のロックを一歩踏み出してこそ、カリスマなのである。盗んだバイクで走りだしたりすることなど、今まで何万人もが通った道であり、今どきそんなことをしていたら、近所の人に「あらあら、きょうもロック? あんまり枠からはみだしちゃだめよ」などと言われてしまうだろう。くだらねえ大人たちの予想の範疇にいるうちはロックではないのだ。

 既存のロックを超えるために、あえて既存のロックにすら逆らってみるというのは、いいかもしれない。たとえば、「盗んだバイクで走りだす」の逆をついて、「何かを盗む」ではなく「何かを盗まれる」。「バイク」もやめて、いっそのこと「裸足」にする。行くあてがないのもロックにありがちだから、しっかりとした目的を持たせたほうがいいだろう。

 つまり、まとめると「お魚くわえたドラ猫を追いかけて裸足で駆けぬける」。

 ――す、すげえロックだ。こんな不器用な生き方しかできない俺をみんな笑うだろう。

 見な、おひさまも笑ってらあ。