部屋のドアに続く長く果てない道

 引越しの挨拶を成功させるコツは、「この人にぜひ隣に住んでほしい」と相手に思わせることである。

 では、どのような人物が「ぜひ隣に住んでほしい」ような人物であるのかといえば、たとえば私のような一人暮しの男が挨拶に行く場合、まずは犯罪などには縁が無い人間であることを相手にアピールしておくことが大切だ。

「盗聴とか、絶対しませんから」

 このひとことで、相手の警戒心はずいぶんと緩くなる。もし、現在、隣人関係がうまくいっておらず悩んでいる人がいれば、自分がこのひとことを忘れていなかったか思い出してほしい。

 また、警戒心を解くだけではなく、好感度をあげていくことも重要である。自分がいざというときに頼りになるということをアピールしておけば、できるだけ仲良くしておこうと相手が思うのは当然の心理だ。

「エイッ! あっ、うっかり得意のカラテをやっちゃった」

 これだけでは野蛮な人だと思われるかもしれないので、嫌味にならない程度にインテリジェンスをアピールすることも忘れてはいけない。

「アレ? カラテって、なんだかパキスタン最大の都市でシンド州の州都のカラチに似てるね。フフ」

 もう期待感がとまらない。なんとすばらしい青年が引っ越してきたものだと、相手はすぐにでもウェルカムパーティーを開きそうな勢いだ。もし隣の先住者が妙齢の女性だったりすれば、もしかして恋の予感?

 現在、隣人関係がうまくいっていないという人も、今からでも遅くない。すぐに、隣の部屋のドアを叩いて、こう言えばバッチリだ。

「今まで無愛想で、会って挨拶もせず、夜中に突然お経を唱えたりしてごめん。俺、本当は気さくで話しやすいタイプだから、仲良くしよう」

 さあ、これで私が教えられることは全部教えたぞ。次は、君が私に人付き合いの仕方を教えてくれる番だ。

100パーセントのヒーロー

 かつて、スパイダーマンは言った。

「ヒーローは孤独だ」

 私はヒーローじゃないが孤独だ。

 それはともかく、ヒーローとは、孤独であることにその本質がある。人を助けたら、名も告げずに立ち去るのがヒーローの流儀であって、助けるたびに「ねえ、俺のおかげで助かったよね? ね?」というようなヒーローは鬱陶しい。

 また、孤独であることには、利点も多い。ヒーローであることが周囲に知られてしまったら、普段から悪の組織に命を狙われたり、つまらないことで「お前、ヒーローなんだろ」と用事を言い付けられたり、「ヒーローさん」などというあだ名で呼ばれたりしかねない。

 つまり、ヒーローと孤独は決して切り離せないものであり、ヒーローを志すならば覚悟をしておくことだ。ヒーローを極めたヒーローともなれば、その孤独は想像を絶する。

・助けにいったら、露骨に嫌な顔をされた。
・悪人にも無視された。
・声をかけづらくて、そのまま帰った。

 もちろん、ヒーローが孤独に悩まないわけではない。ヒーローをやめたくなるときもある。だが、正義の味方としての使命感が、彼を突き動かす。やがて、ヒーローは苦悩を乗り越え、更なる高みを目指す。…それは、究極の孤独。

 ――すなわち、人類の滅亡。

デトロイト・メタル・ショウテン

 パンクにとって我慢ならないのが笑点の大喜利である。見ているだけで体がふやけてきそうなあの空間で、体制に組み込まれた薄汚い豚どもに対するやり場のない怒りをどうやってぶつけろというのだ。

 そもそも、座布団の枚数が増える程度の報酬で、人が真剣になれるとでも思っているのだろうか。いつから人間はそこまで達観したのか。かのマザー・テレサは言った。「人を恐怖と欲望によって支配することはできるが、座布団では無理」と。嘘だが。

 笑点は、もっと殺伐としていなければ、パンクと呼ばれるに値しない。そこで、提案する。舞台では、座布団の代わりに表面がギザギザになった石の台の上に回答者を正座させよう。そして、つまらない回答を言ったときは、正座した脚の上に重し(通称、挫負頓)を載せることにしよう。

「おおい、山田くん。挫負頓一枚やっとくれ」

 歌丸がそう呼びかけると、身長2m10cmの山田隆夫が重さ25kgの挫負頓を片手でぶらぶらさせながら、不気味な笑みを浮かべて舞台袖から登場する。

「はい、かしこまりました…」

 山田隆夫はくぐもった声で返事をし、回答者の脚の上に挫負頓を載せ、ついでにぐっと体重をかける。「……!」。声にならない悲鳴を上げる回答者を見て、山田隆夫は瞳の奥に捩れた愉悦を浮かべる。

 客席は、ただ息をのみ、大量の汗をたらしながら耐える回答者を見つめている。回答者の荒い息遣いを除き、会場は静まりかえっている。そんな中、歌丸が次のお題を告げる。

「さて、次のお題です。リストラされたばかりのサラリーマンが、連続強姦魔の冤罪をかけられ取調べ中に、思わず笑ってしまった一言とは? さあ、お答えください。ただし、ピカチュウ語で」

 鬼のようなお題を出す歌丸。絶望的な顔を浮かべる回答者たち。固唾を飲む観客。十数秒ほど沈黙が流れる。このまま回答が出なければ、全員に1枚づつ挫負頓が載せられてしまう(そういうルールだ)。やがて、歌丸が残酷な笑みを浮かべつつ時間切れを告げようとしたとき、突然、会場の背後の扉が開いた。

「ちゃらーん、こん平でーす」

 こん平の登場に、凍り付いていた会場の空気が動き出す。一瞬、不意をつかれて目を見開いていた歌丸は、すぐに気をとりなおして突然の闖入者に怒声を浴びせようする。しかし、こん平はそれで鋭い目で制し、おごそかに告げた。

「みんな仲良くしよう」

 それで、みんな納得して輪になってマイムマイムを踊りました。おわり。

痛いの痛いの飛んでけ大空に

 とある病気にかかったのだが、それが激しく神経を刺激するので、痛みに弱い私は悶絶している。その様子を見た人が「そんなに痛いの?」と聞いてくるのだが、「痛み」とは、伝えるのがいかに困難なものであるかを実感した。

 思うに、痛みとは、それを経験していない人間には伝えることが不可能なものなのだ。ありきたりなたとえ話で「タンスの角に足指を――」とか「ツメの裏側に針を――」などといってみたり、あるいは、昔のジョークであったように「1cmの鼻毛を1Nの力で引き抜いたときの痛みを1hanageとして――」と痛みの定量化を試みたところで、決して伝わることはない。なぜなら、しょせん他人事だから、わざわざそれを想像してみたりはしないのだ。では、いかにすれば痛みを伝えることができるのか考えてみると、痛みとは「いかに痛くないか」を伝えることによってのみ、伝えることができるのだと思う。

 つまりは、こういうことだ。

「痛むの…?」
「ツッ…たいしたことは無い」

 ここで目を伏せ、グッと唇をかみ締め、身体を震わせながら言うことで、相手に「うわあ、痛そう」と思わせることができるのだ。自分が大丈夫であることを伝えることで、相手の主体的な想像力がはたらき、いかに痛いかを考えさせることができるのである。

 したがって、「どれくらい痛いのか」を伝えるために、あまり痛そうな様子を前面に出してはいけない。もっとも、本当に「痛くなさそうだな」と思われてしまっては元も子もないので、「痛みなどないように自然にふるまいつつ痛そうにする」という、やや複雑な表現力が必要となる。

・ 「ウヒョー! あの娘、ブラの線が透けて見えるぞ」と涙目で叫ぶ
・ 「フロントホック? フロントホック?」と二回尋ねながら、全身を痙攣させる
・ 「オレ、このまえ、はじめてブラの試着に行ったんだけどさあ」と世間話をしながら、のたうちまわる

 「どうだろう?」と訪れた友人に問うたところ、友人は少し考えたあと、「うん、あなたの痛さが伝わってくる」

花咲く乙女たち

 冬季五輪の女子カーリングを見た多くの人が、もし自分がチームを編成するならと、理想のカルテットについて思案をめぐらせたことだろう。

 まず、欠かせないのがチームリーダーであろう。強い精神力と信念を持ち、その姿を見ただけでチームメイトは絶対負けないような気持ちになれる存在である。チームを引っ張る情熱的な言動が目立つのが特徴だ(「あたしのショットは曲げられても、魂までは曲げられないのよ!」)。

 そして、リーダーのよき補佐役が、知性派の眼鏡である。氷上のチェスと呼ばれる(らしいが、私は先日はじめて聞いた)カーリングにおいて、ともすれば熱くなりすぎるリーダーを抑え、冷静な判断で試合をコントロールする役割を負っている。

 アクセントとしては、やはりムードメーカーであるお調子者の存在が必要だろう。チームの敗色が濃厚になっても、その笑顔でチームを鼓舞し、勇気付けることを忘れない。その明るい笑顔の陰に、ちょっぴりトラウマな過去があったりするのだが、だからこそ、決してつらい顔を見せたりはしない。

 4人目は、議論のあるところだが、ここはお色気担当を入れておきたい。できれば天然ボケの要素を持っていることが望ましいだろう。ストーンを滑らせようとして転んでしまい、自分が滑っていったりする。無論、ユニフォームは一人だけミニスカートだ。誰もが「どうしてこんなやつが代表に選ばれたのだ」と思うのだが、彼女が逆転の必殺技ローリング・セクシー・コリオリ・スパークを炸裂させたとき、観客は沈黙する。

 かくして、リーダー、眼鏡、お調子者、お色気の4人で結成された理想のチームは、最高のチームワークで世界の頂点を目指して突き進むのである。だが、簡単に勝ち進めるほど勝負の世界は甘くは無い。彼女たちの前に、彼女らの弱点を調べつくして結成された最強のライバルチームが立ちはだかる。

 まず、リーダーに対抗すべく選ばれたのが「卑屈」である。情熱的なリーダーにとって、まるで信念など無いかのように無用に自分を貶めて薄笑いを浮かべている奴を見ることは耐え難いことなのだ。リーダーがにらみつけると、顔色をうかがうように下から見上げてくる「卑屈」を相手に、リーダーは本来の力を発揮できない。

 眼鏡に対抗するのは、「孤高」である。秀才タイプの眼鏡は、テストの五科目合計ではいつもトップの座を保持している。だが、テストなんてまるで知らぬかのように独特の雰囲気を醸し出しながら校庭を眺めている「孤高」には、微妙なコンプレックスを抱いているのである。負けたくない。そんな対抗意識が眼鏡の歯車を狂わせ、いつものように冷静な判断ができず、ペースを乱してしまう。

 そして、お調子者の相手が「ゲラ」だ。こいつは、お調子者がちょっとおどけてみせただけで、突然横から顔を出して手を叩きながら笑い出す。しかも「こいつ、何がおもしろいかわかってないくせに、とりあえず雰囲気を良くするつもりで笑ってんだろうな」と思わせる笑いなのだ。こいつの笑い声を聞くと、かえって不愉快になる。かくして、チームメイトの笑顔は凍りつき、次第に気まずい雰囲気になっていくのだ。

 最後に、ある意味では敵にまわすと最もやっかいなタイプと恐れられるお色気に対抗すべく送り込まれたのが「仔犬」だ。お色気は、試合中も仔犬のことが気になって仕方が無い。チラチラと見てしまう。ましてや、ストーンのコース上に仔犬が迷い込んだりしたら、「だめっ」と自ら投げたストーンを抱え込んでしまう。

 かくして、最強のライバル「卑屈」「孤高」「ゲラ」「仔犬」を相手に、主役チームは死闘を繰り広げることになる。お互いに持てる力を出し尽くし、一進一退の勝負のすえ、主役チームは勝利を得る。だが、そのために払った代償は小さなものではなかった。チームメイトの危機を身を投げ出して救ったお調子者のことを、彼女たちは決して忘れることはできないだろう。残されたチームメイトは、唇を噛み締めて涙をこらえていた。リーダーが空を見上げると、そこにはお調子者の笑顔がみえた。そして、いつものように「スマイルだぞっ」といっているような気がした。

 そんな彼女たちが、青森地区予選2回戦で敗退することを誰が想像しただろうか。

泣かないで

 誰しも「一度は言ってみたいセリフ」があるが、役者でもないかぎり、そんなセリフをいう機会には恵まれない。だが、それでよいはずがない。いいたいセリフひとついえないようでは、ブラジャーをはずし忘れたまま外出したときのように、なにか胸にひっかかりを感じながら日々を過ごすことになる。余計なストレスを感じないためにも、セリフを口にする機会は逃さずにいたいものだ。

 たとえば、一度は言ってみたいセリフとして、こんなものがある。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 想定される状況としては、自分より強い相手に立ち向かうようなときであろうか。だが、いざ日常でこのセリフをいおうとしても、いう機会に恵まれない。それはそうだ。このセリフをいうには、まず自分が「好きにされる」必要があるが、そんな支配欲に満ちた知人はなかなか見つからないのである。

 ではどうすればよいのか。ここで代替案として提案したいのがコタツである。あの、心も身体も思うがままに蹂躙する悪魔の装置。おシャレな雑誌のような生活に憧れる田舎の女子中学生の夢を打ち砕く存在。そいつにいってやるのだ。

「これ以上、お前の好きにはさせない!」

 そうして、コタツから颯爽と立ち上がる。強い意志を浮かべた眼でコタツをにらみつける。そのまぶしい姿は、思わず皆が目をそらすほどだ。

 他に、こんなセリフも言ってみたい。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 おそらく、状況は敵の幹部にもう少しでたどりつきそうなとき。我々には果たさねばならない任務がある。こんなところで足止めをくらうわけにはいかない。そう、ここで誰かが犠牲になる必要があるのだ。そこで上記のセリフを言い放つのである。「しかし…」とためらう仲間に向かって、「きっと、また会おうぜ」とかいいながら、敵の渦中に飛び込んでいくのだ。そんなかっこいいセリフをいってみたい。

 だが、それには何が必要か考えるのが面倒なくらいの準備が必要であり、そもそも、どうして私がそんな危険なシチュエーションに会わなければならないのか。そういうわけで、もっと手軽にいえるシチュエーションはないかと考えてみるに、こんなセリフをいってもおかしくないのは、屁だ。

 それも、ただの屁ではない。大を我慢しているときの屁だ。とてもおなかが痛くて、もう少しで漏れそうだけど、たぶん、いま出口にいるのは屁。慎重にコントロールすれば、大を出さずに屁だけを出して、少しおなかが楽になる。だが、これは賭けだ。括約筋を緩めすぎると、屁だけではなく、混沌が生まれる。まさに生と死の狭間。私は全神経を括約筋に集中させ、言い放つ。

「ここは俺にまかせて、先に行けっ!」

 そうして、見事に気体のみを出すことに成功する。この達成感。自らが閉じ込められたままであることを知っていても、それでも友を脱出させるためなら、どんな危地をも厭わない。これが人間の証というものか。

 見事、友の脱出に成功させた私は下腹に意識を集中させる。成功した以上、ただ犬死するわけにはいかない。きっと安全圏で脱出しようと、私はトイレの個室に急ぐ。だが、友は去り、敵の攻撃は苛烈である。無事、脱出できるのか。

 あと数歩のところで、どこからともなく声が聞こえてくる。

「約束どおり、戻って来たぜ…」

 煙が目にしみただけだ。