俺もおソノさんも山田くんも

 うすうす気付いている人も多いと思うが、いちおう報告しておくと、今回のワールドカップでも私は日本代表に選ばれなかった。

 見たところ、日本代表に選ばれているのはサッカー選手ばかりである。日本を代表する漆塗り職人や三味線奏者であっても、ワールドカップの日本代表には選ばれていない。おそらく、ワールドカップではサッカーの試合が行われるため、サッカー選手を選んでいるのだと思われる。メガネ屋の店員が、だいたいメガネをかけているのと似ている。

 とはいえ、日本代表にはサッカー選手を選ばなければならないと決まっているわけではないだろう。誰にでもチャンスはある。もちろん、サッカーが上手いにこしたことはないだろうが、下手でもチームの精神的支柱として選ばれることも考えられる。

 精神的支柱といえば、頼りがいとか包容力とか、そういうものが大切であろうと想像される。だったら、サッカーの技術は必要不可欠というわけではないし、サッカーが上手すぎたりすると、チームメイトはライバル心や嫉妬心からかえって頼りづらかったりすることもあるだろう。そんなわけで、チームの精神的支柱はむしろサッカー選手ではないほうがいいような気もする。

 なんとなく思うに、私が日本代表チームの精神的支柱を選ぶとしたら、「アハハハハッ!」と豪快に笑うような、子どもを4人ぐらい産んでそうな、ちょっとやそっとで動じなさそうな、言葉ではなく存在で説得力を持たせられるような、そんな人物にするだろう。仮に、彼女の名前は「おソノさん」としておこう。

 おソノさんは、サッカーボールに触ったこともないし、ひとりだけユニフォームの上にエプロンをつけている。

 おソノさんは、試合が始まれば、「ほら、いっといで!」とチームメイトの尻を大きくやわらかい手で叩いて次々とピッチに送り出す。

 おソノさんは、得点を決めた選手が駆けよってきたら、笑顔で選手の頭をくしゃくしゃになでる。

 おソノさんは、選手がこけても、助け起こしに行くのを我慢して、自分の力で立ち上がるのをじっと見守っている。

 そして、PK戦などプレッシャーのかかる場面で、おソノさんのもとに集まってくる選手たち。もちろん、選手に発破をかけるのはおソノさんだ。

「ほら、ここがふんばりどころだよ。がんばってきな!」
「じゃあ、おソノさん。俺たちが勝ったら、俺たちの好きなアレつくってよ」
「アレ…ってなんだい?」
「やっぱり、おソノさんといえばシチューだよね!」

 おーい、山田くん、レッドカード持ってきて。

十五の夜を超えて

 ロックとは生き様であり、既成概念や社会規範や権威への反抗であり、くだらねえ大人たちにドロップキックをくらわせることである。それは誰もが一度は通る道であるが、いつしか熱い魂を失い、なんとなくモヤモヤを抱えながらも自分自身がくだらねえ大人になってしまうことも多い。

 私自身を振り返ってみてもそうだ。かつて、とんがっていたころは「飛車を斜めに動かす」「雨の日にふとんを干す」「雑誌のエッチな袋とじを開けずに捨てる」など、さまざまなロック的行為を繰り返していた。まさにカリスマだった。

 しかし、最近の私はどうだ。キャベツの葉をニヤニヤしながらむいて「おいおい、そんなに固くなるなよ…」と言ってみたり、「なんだ濡れてるじゃねえか」とつぶやきながら床にこぼした味噌汁を拭いたりしている日々だ。これは本当にロックなのか。私はカリスマなのか。

 このままではいけないのはわかっているが、では、どうすればいいのか。盗んだバイクで走りだせばいいのか。だが、バイクを盗むのは犯罪だし、なにより、カリスマが二番煎じをするわけにはいかないだろう。

 そう、二番煎じはロックではない。そう、二番煎じはロックではない。ロックは既成概念を打ち壊す必要があるのだ。既存のロックを一歩踏み出してこそ、カリスマなのである。盗んだバイクで走りだしたりすることなど、今まで何万人もが通った道であり、今どきそんなことをしていたら、近所の人に「あらあら、きょうもロック? あんまり枠からはみだしちゃだめよ」などと言われてしまうだろう。くだらねえ大人たちの予想の範疇にいるうちはロックではないのだ。

 既存のロックを超えるために、あえて既存のロックにすら逆らってみるというのは、いいかもしれない。たとえば、「盗んだバイクで走りだす」の逆をついて、「何かを盗む」ではなく「何かを盗まれる」。「バイク」もやめて、いっそのこと「裸足」にする。行くあてがないのもロックにありがちだから、しっかりとした目的を持たせたほうがいいだろう。

 つまり、まとめると「お魚くわえたドラ猫を追いかけて裸足で駆けぬける」。

 ――す、すげえロックだ。こんな不器用な生き方しかできない俺をみんな笑うだろう。

 見な、おひさまも笑ってらあ。

6日遅れは気にすんな

「このサイト、10周年らしいね」

「ふうん、そうなんだ。近所にメキシコ料理店が開店したときと同じくらいうれしいね。それよりさ、俺の付き合ってる彼女が実はレズだったんだけど、なんか興奮しない?」

「いや、興奮するけどさ。せっかく10周年なんだし、もうちょっとつっこんで聞いてほしいな」

「なに? 10周年? あー、まだやってたんだね。つっても、別に思い入れもないし…。それよりさ、今年のエイプリルフールに俺がついた嘘のせいで友達の家庭が崩壊寸前になってるんだけど、その話聞きたくない?

「すげー聞きたいけど。とりあえず今は10周年の話を…」

「まあまあそんな話はいいじゃん。それより、俺のとっておきのギャグを言ってもいい?」

「いいけど…」

「『クリオネをクリオネ』」

「……」

「これはさ、『くれ』っていうのと『クリオネ』っていうのをかけたんだよ。つまり、『クリオネをください』っていうのを『クリオネをクリオネ』っていってるわけ。(ブフッ)」

「…なんで吹いてんの? 10周年の話を中断しておいて、なにそれ?」

「あれ、なんか怒ってる?」

「いま、頭の中で戦闘シーンのBGMが流れてるよ」

「そっかー。とっておきだったんだけどなー。ごめん、次はもっとおもしろいギャグを考えとくから」

「いや、そうじゃなくって。それより、今はもっと話題にするべきことがあるじゃん」

「はいはい、わかってるって。10周年でしょ? で、何が? 椎名林檎が?」

「お前、いまググっただろ。だから、このサイトが10周年だって」

「あのさー、俺らが10年前から登場してるようなキャラだったら、そうやって祝うのもわかるよ。だけどさ、俺らって、いま思いつきで書かれてるだけじゃん。なのに、なんで祝わなきゃならないわけ? この文章が終わったら、俺なんて二度と登場しないわけじゃん。それでお前は許せるの? 俺は絶対にそんなの許さねえからな」

「え、なんでキレてんの? あれ?」

「なーんちゃって、はいコレ(花束を差し出して) おめでとう!」

「え? え? なにこの急展開?」

「10周年だけに十分に執念を感じさせるようにお送りしました」

「ええー!?」

パーキングの狼

 「男の人のどんなところが好きですか」っていうたぐいのランキングで、よく上位に入っている「ハンドルを切り返して車をバックさせている姿」ってやつですけど、あれそんなにいいもんなんですかね。

 「重い荷物を軽々と運んでいるところ」とかは、なぜそれが好まれるのか分かるんです。このまえ引越ししたとき、フランケンってニックネームをつけたくなるような引越し屋さんが来てくれて、本がぎっしり詰まったダンボール二箱をひょいと左肩にかついで、空いている肩に何か乗せるものはないかと部屋を見渡すのをみたときは、さすがの私もキュンとなって「私でよかったら」って肩に担がれたくなりましたから。

 ほかにも、「仕事をしているところ」「紳士的な行動」「機械に詳しいところ」とかの定番は、なぜそれが好ましいのか分かりやすいんですが、そんななかで「車をバックさせている姿」って明らかに浮いている感じがします。なんか、それハードルが低すぎやしませんか。

 「車を持ち上げている姿」とかだったらわかりますよ。「振り落とされまいと車の屋根にしがみついている姿」とか「車にしかけられた爆弾を解体する姿」とか「ロボットに変形した車と戦う姿」とかがランクインしているんだったら納得しやすいんですが、「車をバックさせる」ってそんな難しいことじゃないでしょう。

 男にしてみても「俺のどんなところが好き?」なんて聞いてみて、「車をバックさせている姿」とか言われても、あまりうれしくないと思うんですよ。ええ、そんなところなの? そんなことでいいの? って。

 まあ、単純にしぐさとして好きってことなんでしょうけど、なんとなく、つねづね違和感を感じているので書いてみました。「シートごしに後ろを向いている姿がかっこいいの」とかいっている女性にいっておきますけど、私なんて車をバックさせるときどころか、人生いつだって後ろ向きですからね!

 えへん!

君の名は

 三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』を読んだ。主人公は多田さんと行天さん。作中で行天さんがチンピラにナイフで刺されるシーンがある。駆けつけた多田さんはそれを見て叫ぶ。

「行天ー!」

 思わず笑ってしまった。「(びっくり)仰天ー!」と叫んでいるみたいだから。そんな場合じゃないだろう。友人が刺されているのに、ちょっと昭和のテイストを交えながら驚いている場合か。

 でも、考えてみればこのように名字が違った意味にとられるようなことは現実に起こりうることだ。たとえば、病で倒れた友人を見舞ったとき。

「井上、しっかりしろ! 病気になんて負けるな!」
「食道ガンって言われたよ…。ところで食道といえば…?(ガクッ)」
「胃の上ー!」

 せっかくのシリアスなシーンが台無しだ。
 あるいは、フラれた友人をなぐさめているとき。

「小池、女なんて星の数ほどいるんだしさ」
「畜生! 胸毛がキモいとかそんな理由でフラれるなんて、やってらんねえよ!」
「濃い毛ー!」

 友人の気持ちをここまで逆なでして何が楽しいのか。
 飲み屋で女の子と話をしているときも注意が必要だ。

「黒田さん、それ以上セクハラ発言したらキレますよ」
「ウヘヘ、そういうなよ。今、何色のブラジャーしてるの?」
「黒だー!」

 女の子は怒りのあまり興奮。黒田さんも興奮。

 考えてみるに、つくづく名字は大切だ。簡単に変えられないだけに、名字によっては無用な苦労を一生背負わなくてはいけなくなってしまう。もし名字を選べるのであれば、自分の名字が叫ばれることを考慮して、自分にもっともふさわしい名字を選ぶ必要がある。私だったら飯野とかがいい。

私「すいません、とんでもないことをしでかしてしまって…」
上司「いいのー!」